大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

宇太水分神社へ行く・・・下

国道166号線にしたがって水分橋を渡り、すぐに右手に折れた後は50m程南進。左に伸びる朱塗りの鳥居の下を抜ける通りに入る。自動車の対抗ができぬほどの狭さだ。100mほどでこの通りは県道31号線に突き当たるが、その道の向こうに鎮座するのが宇太水分(ウダミクマリ)神社である。

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その草創は明らかではないが、当社のHPの示す沿革によれば崇神天皇の7年2月に、勅願によって始められたという。また 垂仁天皇の御代、 伊勢神宮神職・玉造村尾が神託によって 御裳濯川の水を分けて水分神体とし、高見山に登って鎮座地を請い、 大和の宇陀に、東西二社の社殿を構え 当社を本社と定めて、芳野川上流の中山と下流の井谷に摂社をおいたとの伝えもある。さらに時代は下り、明日香に都があった頃、大和の地の水を司る大和四所水分社(他は葛城水分神社・都祁水分神社・吉野水分神社)として位置づけられたのだという。いずれも史書には記されてはおらず、事の信憑性の程は自信はないが、まあそれだけ古い由緒を持ったお社なのだとはいえるだろうかとは思う。

上の写真に見える鳥居は二の鳥居、一の鳥居は先ほどここに至るまでにあった通りをまたぐ鳥居である。ここに突き当たった後は、その右手にある恵比須社の奥に広がる空き地に駐車。車を降りた後は再びこの鳥居の下まで戻ること大事だ。空き地からは境内を横切り、ショートカットして本殿の前に出ることは可能だが、神参りは形式が重要だ。手水場で身を清めたり、鳥居をくぐったりという「所作」が大切だ。なにしろ鳥居の内側は神の領域、浮き世の汚れを身につけたまま入ることは許されない。左右からこちらを睨み付ける狛犬さんの間を抜け、鳥居をくぐり、手水場で身を浄めた後は拝殿の前に出る。

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いやその前に・・・

鳥居をぬけてすぐ右手に・・・

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何とも蒼然たる古木である。この杉には頼朝杉の名がつけられており、幼少時の源頼朝、当社に詣でた時、大将軍になれるかどうかを占うために、杉を植えさせたとの伝説が残る。残念ながら現存のものは二代目だとのことだ。

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かつてこの拝殿のあった場所には神楽殿があったのだが、昭和47年(1972)の台風の際、欅の倒木の下敷きになって倒壊し、その後、昭和48年(1973)に新たに造営されたのがこの拝殿である。裏手に回り直接拝殿に臨むことも可能だが、せっかく拝殿があるのだから、参拝はこの前で済ませておくのが礼儀というものだろう。さっそく二礼二拍手一礼し、まずは本殿に鎮まりいます三柱の神にご挨拶。それからおもむろに拝殿の裏手に回り、国宝の本殿を拝見する。

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瑞垣の内にある本殿は、その全容を見ることはできないが、外から見える部分だけでもその偉容はその神威を窺い知るに充分である。春日造りのこの三つの本殿の第一殿の棟木には元応2年(1320)の墨書があり、他の2棟も同時の建立と推定してよいだろう。右のお社から順に天之水分(アメノミクマリ)・速秋津彦(ハヤアキツヒコ)・国之水分(クニノミクマリ)の三神が祀られている。天之水分神は天から降る雨水(天与の水)を、国之水分神は川の水(地与の水)を分配する神。速秋津彦神はそれら二柱の神の父神で水戸(ミナト)の神。伊邪那岐(イザナキ)・伊邪那美(イザナミ)二神の子神である。まあ、水に関わる神の一族ということになろうか・・・

さて、この神社の瑞垣はこの本殿以外にも二つのお社が控えている。本殿の隣からすぐその右隣に春日神社

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この地域がかつて、興福寺春日大社の荘園であった関係で、室町時代に、春日社より勘請されて祀られたという。

そしてさらにその南隣が宗像神社。

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規模はそう大きいものではないが、意匠を凝らした蟇股の彫刻は実に見事であり、流造の屋根の曲線は優雅の極みといえる。この二つのお社はともに室町時代末の建造でいずれも重要文化財である。

境内には他にも先程その近くに車を止めた恵比須社のは以後に広がる秋にの奥に金刀毘羅神社があるが、今回撮影した写真はどうも皆さんにお見せできるようなできではなかったので残念ながら割愛。祭神は大物主大神・・・大神神社と同じである。

さて・・・これで今回の宇太水分神社についてのレポートは終了するが、実は宇太水分神社はこの一社のみを指しての名称ではない。その神前を流れる芳野川は、先程通過した水分橋を1km程遡ると二つの分かれるが、そこからその一方の県道31号線に沿った流れを遡ること4km程の地に惣社宇太水分神社(中山水分神社とも)があり、そして同じ芳野川を下ること4km程の場所に宇太水分神社下宮 がある。そして今回訪れた宇太水分神社はその上宮ということになる。

・・・宇太水分神社とは芳野川沿いに鎮座するそれら三社の総体を示す社名なのである。


さて、今日7月24日はこのブログ・・・三友亭雑記にとっては記念するべき1日である。今を振り返ること5年前、まだその間もさだめぬままにこのブログはスタートした。詳細については昨年記述済みであるし、いつもおいでの皆様には充分にご存知のことであるから省略する。

我ながら飽きもせずに続けてこられたものだと思う。この間我が齢は50を越え、まだ幼かった我がご子息様たちはまもなく一人立ちしようとしている。長くもあり短くもあった歳月ではあったが、おかげで多くの方と知り合うこともできまことに有意義な5年ではあったと思う。(これまで全く興味を持っていなかった写真なんてものにも興味を感じ始めたしね・・・)

決して人様の役に立つ情報を・・・などとは思ってこなかった。第一私のそんな知識や能力があるわけはない。これからもなんの役にも立たない文章を書き続けて行くことと思う。そんな拙いブログでも・・・これからもお付き合いいただければ幸いである。