大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷2013・・・1

「初瀬・・・忍阪、そして阿騎野へ」等と銘打って、今から30年ほど前の記憶を穿り返すような記事を連載していたが、ここからは数回、話題を変える。久しぶりに故郷に帰ってきたのだ。あの3.11以来2度目の帰郷だ。前回はその年・・・・すなわち2011年の9月。その時の様子は「被災の里へ」と題した文章(上のメニュー「屑籠」から)においてすでに皆さんにお目にかけている。以前と違うところは・・・前回がとりもあえずの一人旅であったのに対して、今回は妻と息子二人を連れての家族旅行であったことだ。

里帰りなのであるから、こんなふうに家族で帰るのが当たり前といえば当たり前なのであるが・・・それがなかなかであることは奈良と宮城という距離を考えていただきたい。おまけに子ども達もほぼ成人している。そんな2人とスケジュールを合わせること自体が大変なこと・・・なかなかなのである。

けれどもそこは万障を繰り合わせてっていうやつで、なんとか3日間を確保。変わり果てた我が郷里の姿を我が妻や息子たちににどうしても見せておきたかったのである。

ということで、私たちは飛行機の中・・・1時間10分ほどのフライトである。午前11時頃、仙台空港に到着。レンタカーにて北へと向かう。

途中、松島において昼食。よくある土産物屋と併設された食堂にてアナゴ丼を食す。店のありようがありようであるからあまり期待はしていなかったが・・・そこそこ満足ができる出来栄えのアナゴ丼であった。何しろ身が厚い。多くの方々がご想像になる大きめのうな丼のうなぎよりもまだその身は分厚く・・・そしてやわらかい。気になるであろうはずの小骨もほとんど気にかからない。その下に位置する、おそらく宮城産の米の上に置かれたそれは甘辛いたれで煮漬けられており、口に入れると少しの雑味も残さず、甘みと滋味の深さだけを残して口中から姿を消す。不幸なるかな、私は西のアナゴの名産地である明石の地に近い場所で済んでいながら、郷里を出てからは、かのようなアナゴを食する機会に恵まれては来なかった。丼の質素さ、そして店員の鷹揚さを含めて、何もかも懐かしいものであった。

そして松島を後にする。目に入ってくるのは無残にも姿を変えてしまったわが郷里東松島市野蒜(私が住んでいた頃は桃生郡鳴瀬町野蒜)であった。

IMGP2008

大きな方の建物は、いわゆる簡保の宿。値段、料理の質ともに私たちにとっては最上の宿であった。子供ができて以来、私が帰郷するたびに予約さえかなうならば必ず利用していた宿だ(かなりの人気の宿で、なかなか予約が取れない)。

写真はこの宿からそう遠くはない海岸線に沿った道から撮ったものだが、あの日・・・3.11・・・以前は、このアングルからはこの宿の全景を撮ることはできなかった。なんとなれば・・・写真にある草地はすべて鬱蒼たる松林であり、その松林が視界を遮って簡保の宿を私たちには見せてくれていなかった。

それが今はこうである。

IMGP2012

月見草の草原の国見える建物は旧鳴瀬第二中学校。私の母校だ。

あの日・・・遥か沖から到来した昏い波濤が校舎を貫いたのだという。そこには今、ここで多くの中学生が学びの日を過ごしていたとは思われない惨状が残されている。ここの生徒たちは使用不能の校舎を後に、遠く離れた同じ市立の隣の中学校(鳴瀬第一中学校)の教室を間借りして学びの日を送った。そして・・・ついにこの我が母校は廃校。間借りをしていたその隣の中学校と合併して鳴瀬未来中学校として再出発した。聞くところによるとその校歌はあの加藤登紀子さんの手によるものであるらしい。自分たちが歌い継いできた校歌が消えてしまったことへの寂しさはあるが、我が後輩たちの新しいスタートがかくも晴れがましいしいものであったことはうれしくもある。

・・・とにかく・・・複雑である。

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