大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷2013・・・3

朝食を済ませた後・・・少々食べすぎたと反省しつつ、私はホテルを後にした。今日の最初の目的地は蔵王の御釜である。これまで家族を連れて帰郷するたびに行ってみようと思いつつ、悪天候に阻まれて拝することあたわなかった蔵王の御釜である。この日は快晴、やっとその機会に恵まれた・・・と少なくともその時は思い、仙台駅の真横にあるホテルから広瀬通りをまっすぐ西進した。

道はいつしか仙台西道路となり、つきあたった仙台宮城のインターチェンジから東北自動車道に乗り、南に向かうこと30分、村田インターチェンジで一般道へ。ここから目的地である蔵王の御釜を望む刈田岳山頂付近まで1時間とちょっとで行けるはず・・・だった。

車は快調に進み、標高差1700mを一気に駆け上る。

ところが、山の天気とは気ままなもの。それまで周囲を覆っていたあふれんばかりの緑が途切れ、ななかまどや這い松が目立ち始めたあたりから周囲は急に薄暗くなり、車内からでは肌に感じることができないまでもかなり強い風が吹き始めてきたのが、低木たちの葉のそよぎでうかがい知ることができるようになった。フロントガラスには時折雨粒がぶつかり、ガスまで生じ始めてきた。

ともあれ、あと少し様子を見てみようとこの山の高原道路である蔵王エコーラインの終着地までは車を走らせてみた。そして、その最高点、ここから最終的に刈田岳の頂上に至る蔵王ハイラインの入り口に辿り着いたとき・・・もういけない・・・視界がほとんど効かなくなってきた。

このままハイラインに乗り換え進んだところで、目的であるお釜を拝することができる可能性はほとんどない。真っ白なガスの中を車を走らせ何も見えなかった・・・ではつまらない。私たちはここまできて、また神秘の湖水を目にすることをあきらめなければならなかった。

ただ、そのまま山を下りたのでは何しに来たのか分からない。エコーラインを下りながら、2か所で車を止め、私たちは高原の空気に浸ることにした。

まず車を止めたのが大黒天。

P1060181

ハイラインから折り返し地点から、ほど近く道の右側に広い駐車場がある。そこに車を止めて道を渡れば、このエコーラインでも有数の景勝地がある。標高1432m。石造りの小さな大黒様が祀ってあることからこの名が付いた(このことは後から知った事実で、そのときはこの場所をただの展望台程度に考えていたので、この大黒さんは未確認)。ホテルを出た頃には30度を越えていたであろう気温であったが・・・寒い。山形側から蔵王を越えてくる風の強さのせいだけではない。1432mという標高がなせる技である。ここには60分程で御釜にたどり着ける登山道があるが、すでに述べ来たったような天候である。私たちにその気はない。周囲の人々も同じと見えて、その登山道を少し上ったところにある開けた場所からの眺望を楽しんでいるだけである。とはいっても、天候が天候なのであまり遠くまでは見渡せない。

次が駒草平。

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大黒天からほど近い場所に、公衆のトイレと道を挟んで売店を伴っての休憩所がある。その周辺が駒草平である。ごらんの通りの所々に低木が茂っただけの荒涼たる溶岩礫の荒れ野である。命名の由来は、その名から想像できるとおり高山植物の駒草がその溶岩礫の荒れ野に群生していることによる・・・が、私たちが発見できたのは下の写真の一つだけであった。これもまた私の勉強不足で、ここがそんな名の荒れ野とは知らず、従ってこのような可憐な高山植物が群生する地とは知らずにいたが故であろうか・・・もうちょっと注意深く見ていればと悔やまれる次第である。かくもひそかな美は、それを見つけるために一通りならぬ注意力を要する。

P1060186

この荒れ野の中央からやや崖よりに外れた場所に、高さが1mに満たないほどの展望台のようなものがある。けれども、1mに満たないことを笑うことなかれ、ほんのわずか視点を高くしただけで、目に入る景色はずいぶんと変わってくる。もしこれが晴天の日であるならば、私たちは雄々しき蔵王の頂を中心にした奥羽山脈の山並み、仙台平野、そして限りなく広がる太平洋が見渡せたはずである。平野側を見渡し、少々残念な思いを抱きながら山側に目を向けた時である。

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勢いよく流れ落ちる水流が私たちの視界に入ってきた。不帰滝(カエラズノタキ)だ。御釜から流れ出る濁川が溶岩台地を走り、この場所で一気に流れ落ちている。高さ97.5m、幅14m、御釜をその山頂に頂く五色岳の東部に深く切り込んでいる。その昔、この場所に鬼ばばあが住んでいて、登って来る男どもを捕まえて生き血を吸ってはこの滝に落としたという。ゆえにこの場所に来た者で帰って来た者はいないということから「帰えらずの滝」と呼ばれるようになったというのがその名の由来だそうである(他にここを訪れた者がこの滝の美しさに魅入られて帰るのを忘れてしまうからという説もある)。件の展望台からは少々距離があり、その轟音を耳にすることができなかったのは残念ではあるが、この滝を見ることができたことで、せっかく蔵王を訪れながらも御釜を見ることのできなかった残念さは、かなり和らいだような気がした。

しばし滝に見入っていた私たちは、さすがにここで「不帰」のとなるわけにはいかぬ。次の目的地である大崎平野へと車を走らせた。

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