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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷2013・・・9

海辺の宿に泊まり、朝早く起きることが出来た者のみに与えられる特権を充分に味わい尽くした後、私はやはり旅の宿にあることの特権を行使するべく、東館(新館)の2階にある浴場へと向かった。昨日利用した西館のそれとは違って、海に向かっての露天風呂もしつらえられてあり、そこからの景色もまた堪えられないものがある。湯の方も地中からくみ上げた冷泉に加熱したもので、西館のそれとはだいぶ肌への当たりが違う。

部屋に戻ることしばし・・・私たち家族は打ち合わせていた時刻に決められた食事会場へと向かう。7時である。だいたいの宿は7時に食事が始まることが多いが、私たちはいつ・どこの宿に泊まっても、7時になるのを待って食事会場へと向かう。休日であっても、朝6時30分には朝食を始めている私たちにとって、7時という時刻が我慢のできるぎりぎりの限度なのだ。おなかが空いてたまらないのだ。

朝食はバイキング。少々その品数は少なかったような気がしないでもないが、それぞれの食品のクオーリティの高さは目を見張るものがあり、品数の少なさを感じさせることはない。その中で印象に残っている食べ物を一つ二つ・・・

鰹の刺身(小さな皿に小降りに切った喝をの刺身が3切れ。薬味として葱が乗っている。とにかく新鮮そのもの、ややもすれば生臭く感じられやすい鰹ではあるがそんな生臭さは一切感じられない。こいつをご飯の上に乗せて一緒に頬張る。アツアツのご飯にひんやりとした鰹の切り身・・・ここまで書けば、これ以上語る言葉を私は持たない。あとはご想像いただきたい。) 気仙沼チャウダー(チャウダーはみなさんご存知の品物。とろみは少なくサラッとしている。牡蠣と浅蜊の出汁がよく聞いている。口中に小さなスプーンで流し込むと何やら心地よい歯触りの粒々が感じられる。気仙沼チャウダーというその名の由来ともなるフカヒレである。フカヒレは気仙沼の特産品。徳川の昔より藩の特産品として唐へ輸出され、かなり苦しかったらしい伊達藩の財政を支えた。そして今もなおこの地の特産品として重宝され続けている)

食事が終われば、あとはお腹が落ち着くのを待って宿を出発するだけである。そんな私たちを、窓辺からウミネコがじっと見つめている。

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最初の目的には初日に訪れた東松島市野蒜、もう一度墓に参り、我が生まれ故郷を最後にもう一度目に焼き付けておこうという算段だ。昨日は蔵王大崎市と内陸を中心として回ったので、旅の最終日である今日はあたうかぎり海辺の道を走ることにした。東浜街道・・・国道398号線である。この辺りは知っての通りのリアス式の海岸であるから海は見えたり見えなかったりする。そして何回目かに私たちの目に入った海は・・・追波湾である。先日紹介した新北上川(追波川)が太平洋に流れ入る地である。新北上川に河口は想像以上に雄大である・・・が、対岸に広がる水面に一部違和感のようなものを感じる・・・そう、そこはかつてかつて地面であった場所なのだ。大規模な地盤の沈下がこの場所ではあった。かつて細い水路にて追波湾につながっていた長面湾は今、ほとんど一つながりになっている。

私たちはそれを左に見つつ、北上川沿いに北上する。河口から遡る事3㎞、対岸に・・・かの悲劇の地はある。先日だったか・・・いや、今朝だったかもしれない。長らく途絶えていた遺族の団体と石巻市教育委員会との対話が再開した。無論・・・その対話がうまくかみ合ってゆくものとは私には思われない。まことに卑怯な言いぐさながら、どちらの言い分もわかる・・・というのが私の素直な感覚だ。子供を失った保護者たちの怒り・悲しみは充分に理解できる。そして、そこで一体何があったのかを知りたいというその気持ちは至極真っ当である。そしてそう思うのと同じぐらい・・・たとえば自分がその場所にいて子供たちを避難誘導させる立場にあったとして、どこまでのことが出来ただろうかと思った時の無力感は強い・・・。

今その悲劇の地を北上川沿いに見て・・・もって、瞑するのみである。

程なく私たちは北上川を渡り、石巻へと向かう。石巻からは三陸自動車道に乗って一気に東松島へと向かう。我が生まれし町・・・東松島市野蒜は30分程である。途中、用便のためコンビニによる。ついでに墓参りのための線香を購入する。マッチは・・・ホテルのものを戴いてきた。

鳴瀬川をその河口部まで下った私たちの目に、再び・・・かつて野蒜であった風景が入ってきた。

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