大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お彼岸は薬師寺に・・・上

ちょいとした催しごとがあって、薬師寺に行こうと思った。思い返してみれば、最近、薬師寺に行ってはいない。何時からいってないのかを思い返そうとするが、なかなか思い出せない。仕方がないから、過去に書いた記事でその日時を特定しようとする。すると、2010年10月11日に「薬師寺に行く・・・1」なんてのを書いている。もちろん記事を10月11日に書いたということであって、その日に薬師寺に行ったということではない。けれども、1週間も2週間もたって書きはじめたとも思えない。

震災の前だ・・・そんなに長いこと行ってないのか、なんて思いつつ、車を奈良に向かわせたのは昼食後。我が家からは、1時間ほど薬師寺には到着する。駐車場に車を止め、まずはトイレ。

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いつもながらのことであるが、使用に際して少々気が咎める気がしないでもない。しかしながら、自然が私を呼んでる以上、その声に応えないことは許されない。ここは少々気が咎めるにしても・・・いやいや、自分は立派な「善男子」なんだ・・・と無理に自分に言い聞かせ、自然の呼び声に従うこととする。

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サッパリとした気持ちになって薬師寺の伽藍に向かう。その途中にあるのが薬師寺の鎮守、休ヶ岡八幡宮。出来れば人の姿の写らぬように撮影したいものであるがなかなかの人出だ。どうしても幾人かは私のブログに登場していただかなければならない。まあ、個人が特定できないようにだけはしておこう。

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これは孫太郎稲荷。

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狐さんは写真を見ると向かい合っているように見えるが、実際はそうではない。どちらも社の訪れる人間を向かえように顔を向けている。ということは、左の写真が社に向かって右、右の写真は社に向かって左にあったことを意味する。

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孫太郎稲荷からすぐの場所に、薬師寺の南門はある。以前はこの位置に立てば、東西の塔が仲良く見えたものであるが、今は東塔が解体修理中。中門の背後に見える縦じまの覆いがそれである。したがって、中門をくぐっても姿を見せてくれるのは西塔のみ。

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西塔は1981年の再建によるもの。私が学生であった頃のものだ。なんでも、この塔は対称であるべき東塔より30cmほど高く作り上げられたそうだ。これから先の歳月が、その材を収縮させ、屋根に載った瓦が屋根を沈める。500年もたてば東西の塔の高さの30cmはなくなってしまうのだそうだ・・・・

そして東西の塔(東塔は言うまでもないが縦じまのおおいの中にある)の中央に立って真北を見ると、そこにはこの寺の御本尊薬師如来のいます金堂がある。

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薬師如来は左右に日光、月光の両菩薩を従え、平城の御代からずっと遠く真南に位置する畝傍山の頂を見つめ続けている。ただ・・・ご覧の通り、この金堂は少々新しい。上に紹介した西塔もそうだが、実は東塔を除くこの寺の堂宇は1528年の兵火により、悉く灰燼に帰してしまった。1967年、管主高田好胤の発願により始まったこの寺の復興工事の成果として今のこの寺の伽藍は存在する。少々新しいのはやむを得ない。この世知辛い近代において、これほどの普請が行えるほどの善意が集まるのだからまんざらこの世も捨てたものではない。

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この大講堂も同じである。東西41m、奥行きが20m、高さは17m。まことに巨大な建造物であるが、これもまたこの国の多くの人々の善意によるものだ。弥勒如来が本尊として安置されている。また、その背後には、お釈迦様の足跡を刻んだ仏足石、そしてその功徳を讃えた歌を刻み込んだ仏足石歌碑(575777の歌体が特徴的である)が安置されており、これもまた見るべき価値は十分にある。

以上が東西の回廊に囲まれた、白鳳伽藍。上記の復興計画により再現された白鳳時代の偉容である。

その北側の道に東西に走る道を挟んで玄奘三蔵伽藍がある。

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あの三蔵法師の祀られている御堂が中央にある。そしてその背後のあるのが、大唐西域壁画殿。三蔵法師が天竺に赴いた際にご覧になったであろうと思われる西域の風景がその壁に描かれている。絵は平山郁夫氏によるもので、これだけでも充分に拝見する価値がある・・・が、そろそろ、早く今日の目的を果たしたくなった。よって、もったいない話ではあるがその壁画の前はさっさとお暇を願って再び白鳳伽藍へ・・・

けれども今度は回廊の中には入らない。東回廊のその外側の巨大なプレハブ造りの建物に入る。ここで、今日の私の目的の催しが行われている。

国宝東塔 水煙降臨展・・・だ。<続く>