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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お彼岸は薬師寺に・・・下

「お彼岸は薬師寺に」なんて題しておきながら、その続きをかくのをさぼっていたら明日は10月。いつまでもサボってはいられない・・・ということで今日は慌ててアップ。

いよいよお目当ての会場へ・・・国宝東塔 水煙降臨展・・・だ。

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水煙とは寺院の塔の上部に突き出ている相輪の上部の装飾的な部分を言う。上の写真はその水煙の下に位置する 法輪。

寺院の塔は本来、釈迦も墓を意味する。梵語ではストゥーパといい、それが音訳されて卒塔婆となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになった。釈迦様の遺骨仏舎利を埋葬して盛り土をしたものがその原型である。そしてその塔婆が中国で楼閣建築と融合し、今我々が見るような塔としてその建築様式がこの国において定着した。定かではないが、かつて寺院の中に立ち入ることの許されなかった庶民がその領域の外からでも釈迦の遺徳を偲び、祈りを捧げられるようにと高層化したとの話を聞いたことがある。

相輪は最初にインドで作られたストゥーパに相当する部分であり、六つある輪っかの下にある半球形の部分(写真の一番下の部分)は、もともとは土饅頭のような半球型の塚であったストゥーパの塚の部分に当たる。そしてストゥーパと同様にその上部に延びたポールがこの法輪である。

宝輪とは九輪とも呼ばれていて、本来輪っかが9つあり、それぞれの輪っかが五智如来四菩薩を表しているというが、なぜか写真の宝輪は六つしかない。この辺りはしかとは把握していないので、ご存知の方がいらっしゃればお教え願いたい。

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その宝輪の中心を貫くのがこの 擦管(サッカン)である。そして、この薬師寺の東塔の擦管の名を高からしめているのが、そこに彫られた文字群である。展示のための柵の加減で間近には近寄られないため、その文字はなかなか判読できない。

しかしそこはサービス精神にあふれたこの寺のこと。その横に下のような拓本が展示されていた。

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分かりやすく活字ふうに直すと次のようになる。

維清原宮馭宇天皇即位八年 庚辰之歳 建子之月 以中宮不悆 創此伽藍 而鋪金未遂龍駕騰仙 大上天皇奉遵前緒遂成斯業 照先皇之弘誓 光後帝之玄功 道済郡生 業傳曠劫 式於高躅敢勒貞金其銘曰

巍巍蕩蕩薬師如来大發誓願廣 運慈哀猗與聖王仰延冥助爰 餝霊宇荘厳調御亭亭寶刹 寂寂法城福崇億劫慶溢萬齢

維(コ)れ、清原(キヨミハラ)宮に馭宇(アメノシタシロシメス)天皇の即位八年、庚辰の歳、子を建つるの月、中宮不悆を以って、此の伽藍を創む。而して鋪金未だ遂げざるに「す。 大上天皇、前緒に遵い奉り、遂に斯の業を成したまう。先皇の弘誓を照らし、後帝の玄功を光かす。道は郡生を済い、業は曠劫に傳わらん。式(も)って高躅に於て、敢て貞金に勒す。其の銘に曰く、

巍巍たり、蕩蕩たり、薬師如来。大いに誓願を發し、

廣く慈哀を運らしたまう。猗與(ああ)聖王、仰いで冥助を延ばさん。

爰に霊宇を餝り、調御を荘厳す。亭亭たる寶刹、

寂寂たる法城。福は億劫に崇く、慶は萬齢に溢れん。

天武天皇の8年、皇后(後の持統天皇)が篤い病に伏した。そこで天皇はその病気の平癒を願いこの寺を創建したが、完成を見ずして天皇はなくなった・・・そして、病の癒えた皇后・・・持統天皇がその意思を継いでこの寺を完成させた・・・

というこの寺の縁起に続き本尊である薬師如来への讃辞がそこには書いてある。かつて私は、この文中の「龍駕騰仙」という語にかなりこだわったことがあった。天武天皇崩御を「龍に乗って、仙境に昇った」と表現しているのだ。道教にかなりご執心であったこの天皇崩御を示す語としてはまことにふさわしい語の選択であったように思う。

おりもおり・・・10数人の拝観客を相手にこの寺の僧が説明をなしているのが聞こえてきた。「この銘文こそがこの寺の存在意義なのだ」と・・・

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さて、これが宝輪の上の水煙。火炎をデザインしたものであるが、これが火災よけのまじないとなっているらしい。最上部にある球形は宝珠。仏舎利を収めるべき部分で、相輪のもっとも重要な部分だ。

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これは水煙の下部に彫りこまれた笛吹童子。その笛に合わせて軽やかに空を飛びながら舞うのが

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飛天である。

まことに持って見事な造形としか言いようがない・・・と私はしばしの間、普段は見ることもできぬほどのの高みにあって、確認することが出来ぬ細部の美に打たれていた。

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水煙の展示会場を出るとそこにあるのは東回廊。そしてその向かいにあるのは

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東院堂。 養老年間(717~724)に吉備内親王(キビナイシンオウ)が元明天皇の冥福を祈り、建立されたものだ。奈良時代には現在の位置の東に建てられていたが、天禄4年(973)の火災で焼失、現在のものは正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安8年(1285)に再建さたものである。初めは東向きに作られていたが、享保18年(1733)に西向きに変えられたのだそうだ。堂内には、白鳳仏を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護しています。

堂内は撮影禁止が常識。私とて聖なる建造物の内部でシャッターを押す気にはならないが・・・

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この日は仏様も思わず微笑むほどの好天。東院堂の蔀は大いに開け放っていた。私は東回廊の屋根の下に立ち、ちょいと失礼かとは思ったが、思いっきりズームしてシャッターを押した。

国宝 聖観世音菩薩である。

合掌・・・・