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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

八幡様と鳩・・・上

・・・八幡様が安産の神様?・・・なんで、その御礼が鳩の置物? なんて疑問をお持ちになる方もきっといらっしゃるだろう・・・そんな方は、次回の記事をご覧になると良い・・・

前回の記事を、上のように結んだ。八幡様が安産の神で、無事出産のあかつきにはお礼として鳩の置物をお供えする・・・という事実に対して「疑問をお持ちになる方もきっといらっしゃるだろう・・・そんな方は、次回の私の記事をご覧になると良い・・・」などと、傲慢な物言いで結んでおいた。しかしながら賢明な読者は私にそんな傲慢な言い回しにふさわしいだけの力がないことはとうにご存じのはず。よって、今回はそんな賢明な読者の皆様の寛容さに甘えてやや・・・いや、かなり不確かな・・・というよりは無責任な論(?)を今回と次回に分けて展開することとする。

まず今日は八幡様が安産の神であるという事実に対しての考察である。八幡神社のすべてがその主祭神として応神天皇が祭られている。ご存じの通り、応神天皇の誕生にまつわっては古事記にただごとならざるエピソードが記してある。そのエピソードこそが今回の考察に大きな指針を与えてくれる。

時はその父、仲哀天皇の御代にさかのぼる。仲哀天皇は倭建命(ヤマトタケルノミコト)の皇子で古事記によれば第14代の天皇ということになっている。仲哀天皇熊襲討伐のため神功皇后とともに天皇は筑紫に赴いた時のことである。神懸りした神功皇后からの神のお告げがあった。 それは目の前に広がる海の西にある宝の国(新羅)を授けるという内容であった。

が・・・仲哀天皇は、これを信じず神を非難した。そのため神の怒りに触れ、仲哀天皇は急に崩じてしまった。その後、神の託宣を受けた神功皇后玄界灘を越えて朝鮮半島に出兵し新羅に侵攻した。新羅は戦わずして降服し、他の高句麗百済朝貢を約した。いわゆる三韓征伐である。事の真偽、及びにこの侵攻の正当性はここでは問題ではない。

問題はこの三韓征伐のおりに、神功皇后はすでに応神天皇を孕んでいたということである。産み月を間近に控えていた皇后は渡海の前に、鎮懐石と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。

そしてその帰途、皇后は筑紫の宇美の地において応神天皇を出産する・・・というのが、そのエピソードの概略である。このエピソードについては万葉歌人山上憶良によっても次のように歌われている。

筑前國怡土郡深江村子負原 臨海丘上有二石 大者長一尺二寸六分 囲一尺八寸六分 重十八斤五両 小者長一尺一寸 囲一尺八寸 重十六斤十両 並皆堕円状如鷄子 其美好者不可勝論 所謂径尺璧是也或云 此二石者肥前彼杵郡平敷之石 當占而取之去深江驛家二十許里近在路頭 公私徃来 莫不下馬跪拜 古老相傳曰 徃者息長足日女命征討新羅國之時 用茲兩石挿著御袖之中以為鎮懐實是御裳中矣所以行人敬拜此石 乃作歌曰 かけまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今のをつつに 貴きろかむ 天地の ともに久しく 言ひ継げと この奇し御魂 敷かしけらしも 右事傳言那珂郡伊知郷蓑嶋人建部牛麻呂是也

万葉集巻五・813/815

念のために題詞と左注の書き下し文を示す。

<題詞> 筑前の國 怡土の郡深江の村の子負の原に、海に臨める丘の上に二つの石あり。大きなるは、長一尺二寸六分、囲み一尺八寸六分、重さ十八斤五両、小さきは、長一尺一寸、囲み一尺八寸、重さ十六斤十両。ともに楕円く、状 鶏子のごとし。その美好しきこと、勝げて論ふべからず。いはゆる径尺の璧これなり。或いは「この二つの石は肥前の国彼杵の郡平敷の石なり、占に当りて取る」といふ。深江の駅家を去ること二十里ばかり、路の頭に近くあり。公私の往来に、馬より下りて跪拝せずといふことなし。古老相伝へて、「往者、息長足日女命、新羅の国を征討したまふ時に、この両つの石をもちて、御袖の中に挿著みて鎮懐と為したまふ。実には御裳の中なり。このゆゑに行人この石を敬拝す」といふ。すなはち歌を作りて曰はく、 <左注> 右の事、伝へ言ふは、那珂の郡伊知の郷蓑島の人建部牛麻呂なり

ここでは山上憶良の万葉歌は紹介にとどめ」に深入りはしない。結論を急ごう・・・とはいえ、語らずともその結論はすでにお察しのことであろう。

たとえ戦闘を伴わない軍旅とはいえ、玄界の荒海を越え半島に渡る・・・身重の体でである。それなのに神功皇后はその出産を見事にコントロール(どこかの国の宰相のいうところの「完全にブロックしている」なんてのは問題にならないが)して、見事に出産を遂げる。そうして生まれてきた皇子が後の応神天皇である。これが出産にかかわる神となって何の不思議があろう・・・しかも、今回の考察のきっかけになった大安寺八幡宮は、他にその父君である仲哀天皇、母君である神功皇后祭神として祀られている。安産祈願の社としてこの大安寺八幡宮が多くの信仰をあつめるのは当然といえば当然すぎる帰結であったのだ。