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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

八幡様と鳩・・・下

さて、源氏の守り神であり、軍事の神ともいえる八幡様がなぜ安産の神となり得るのかについては前回のごとくである。今回に私に与えられた使命は、なぜこの神社と鳩とのかかわりを考察(?)することにある。

そもそも事の始まりはこの写真にあった。

Photo0095

狛犬さんの手前に鳩の焼き物か飾られている。そしてその後ろに無数に置かれてある白い鳩の置物・・・これらは、この大安寺八幡宮に安産を願い、無事に出産を済ませた際に、その御礼として供えられた品である。なぜ、願いがかなえられたその御礼が「鳩」なのか・・・そこには八幡様と鳩が切っても切れない関係にあることを示唆するのではないか・・・

そういえば・・・全国に数々ある八幡様の中でも源氏の守り神として知られる鶴岡八幡宮に関わる次のようなエピソードがある。

鶴岡八幡宮を崇敬していた初代は、八幡さまの本殿の掲額の(八)の字が鳩の抱き合わせであり、境内に一杯いる鳩が子供達に親しまれているところから、かねて「鳩」をモチーフに何かを創ろうと考えていました。そこにサブレー・三郎のヒラメキが来ました。あたかも八幡太郎義家、源九郎義経のごとく、鳩三郎(鳩サブレー)となったのです。鳩サブレーのネーミングには、こんないきさつがあったのでございます。(鎌倉豊島屋ホームページ

そう、皆様ご存知の鳩サブレーの成立に関わる逸話である。ことは鶴岡八幡宮だけのことではなく、八幡様をお祭りする神社には鳩をその紋所とする神社が少なくない。そして、この大安寺八幡宮と鳩とのかかわりといえば・・・

九州の宇佐八幡から行教和尚が、八幡神を勧請して帰る途中、白い鳩が道案内についてきた。僧行教は、「これは大安寺八幡宮を守るためにきてくれたのだ」と、大事にこの鳩を飼った。男山の八幡宮へおうつりになる時も、鳩が道案内をしたという。 神功皇后三韓征伐には、大安寺から出発された。その時、応神天皇がお生まれになったが、しかたがないから、大安寺の佐保川の西を流れるコモ川の堤にコモを包んで置いておかれた。コモ川という名も、それから出た。それを鳩が来て養育した。八幡宮に鳩がたくさん飼われるのは、その縁故だという。

という話が大和叢書の内の『大和の傳説』(昭和8年高田十郎編纂)におさめられている。深い深い関係が、八幡様と鳩の間にあることは疑義をはさむ余地はないようだ(おおげさだなあ・・・笑)。となればなぜ、この2者がかくも深い関わり合いを持つにいたったのか・・・ちょいと調べてみようかなんて気持ちになって来る。

まずは応神天皇八幡様の関係である。前々回でも述べたように八幡様は海の向こうから渡ってきた渡来神である。それがなぜ我が国の16代天皇応神天皇と同一視されるのか・・・古事記日本書紀続日本紀といった奈良時代以前を記した、いわゆる正史にはこのことは記されていない。扶桑略記という堀河天皇代((1094年以降)に比叡山功徳院の僧皇円(こうえん。法然の師)が編纂した私撰の史書に初めてこの話が出てくる。時は欽明天皇(6世紀半ば?)の32年のことである。

八幡大明神顯於筑紫矣。豐前國字佐郡厩峯菱瀉池之間。有鍛冶翁。甚奇異也。因之大神。此義絶穀。三年籠居。即捧御幣祈言。若汝神者。我前可顯。即現三歳少兒「云」。以〇(〇は「芸」の下に「木」)託宣云。我是日本人皇第十六代譽田天皇廣幡八幡麿也。我名曰護國靈驗威身神大自在王菩薩(原文はくさかんむりに「廾」・・・「菩薩」の略字)。國々所々垂跡於神明。初顯坐耳。一云。八幡大菩薩(原文はくさかんむりに「廾」・・・「菩薩」の略字)初顯豐前國宇佐郡馬城岑。其後移於菱形少倉山。今宇佐宮是也。

(扶桑略記 欽明天皇32年)

全文を書き下し文に改められれば良いのだがあいにく私にそれほどの力量はない。そんな私が上記の文よりなんとか読み取ったざっとした大意のみをいかに記す。

豊前の国は宇佐郡の菱瀉池のほとりに奇異な容貌の鍛冶の翁がいた。これは神に違いないと思った大神(オオガ)の此義は穀を絶ち潔斎をしたうえでその翁に言う。「もしあなたが神であるならば、私の前にあらわれてください・」と・・・すると3歳の童子が現れ、「我は是れ日本人皇第十六代譽田天皇応神天皇)廣幡八幡麿なり。我名は護國靈驗威身神大自在王菩薩(原文はくさかんむりに「廾」・・・「菩薩」の略字)と言う。」といった。

もちろん伝説にすぎない。けれども、そのことと人々がそれを信じていたこととは別の話である。信仰とはそういうものである。信じていたかどうかが問題なのであり、それを信じる者にとってはそれが真実となるのである。であるから、それを信じる者にとっては、八幡様応神天皇以外のなにものでもありえないのである。

さて、次は鳩である。

筑紫豊前国宇佐郡菱形池辺。小倉山之麓。有鍛冶之翁。帯奇異之瑞。為一身現八頭。人聞之為実見行時。五人行。即三人死。十人行。即五人死。故成恐怖。無行人。於是大神比義見之。更無人。但金色鷹在林上。致丹祈之誠。問根本云。誰之成変乎。君之所為歟。忽化金色鳩。飛来居袂上。爰知神変可利人中。然間比義断五穀。経三年之後。同天皇三十二年辛卯二月十日癸卯。捧幣傾首申。若於為神者。可顕我前。即現三歳少児於竹葉上宣。 辛国降八流之幡。吾日本神礼利。一切衆生左任心多利。釈迦菩薩化身。一切衆生牟土神道現也。我日本人皇第十六代誉田天皇広幡八幡麻呂也。我名於波 曰護国霊験威力神通大自在王菩薩(小字になっている部分はいわゆる万葉仮名。音読みして仮名として理解してくださればよい)

これは宇佐八幡宮託宣集の霊巻の巻5におさめられている話である。上記の扶桑略記とほぼ同一の逸話であるが、注意していただきたいのが傍線部である。金色の鷹が鳩に身を変え、さらにそれが鳩に身を変えたとある。まあ、私の拙い解説よりは下のURLをクリックしていただきたい。上の一文を実に明快に解き明かしてくれている。

http://mang.jp/story/36668

いかがだろうか・・・八幡様と鳩との関係がこれでご理解いただけたであろうか。八幡様はこの国に初めて顕れたもうたその時・・・鷹、そして鳩としてその御姿をこの国の人の前に示した。この逸話こそが鳩を八幡様の使い(この話では八幡様そのものであるが)としてこの国の人々に受け入れられるようになった起源を示している。

かくして八幡様と鳩とは切っても切れない関係のものと相成った。先述のごとく八幡様を祀る神社に鳩の紋章を使用している神社は少なくない。そして・・・実際に鳩がその境内を巣所としている神社も八幡様を祀る神社には多いと聞く。となれば、安産を祈願して、事が成就した際にその置物をお礼として奉納することは至極当然のことではないか・・・


大上段に振りかぶっての一文となってしまった。そのわりには漢文の読解力の不足から尻すぼみの拙文と相成ってしまったが、大方の思うところは示しえたと思う。まあ、今の私の持つ力量と与えられた時間からすればこれが手一杯。細かい所ではかなりいい加減なことも言っているだろうし誤りも多いかもしれない。もしよければご批判、ご教授いただきたいと思う。