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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

再び奈良公園で紅葉を見る

先日、奈良公園の紅葉の様子をお伝えした。仕事上のお付き合いで興福寺から東大寺大仏殿前、そして手向山八幡宮を抜けて春日山の麓を、先週の金曜日に歩いたときのものだ。

その2日後の日曜日、私は家の者とともに再び車を奈良に向かわせていた。2日前の紅葉の美しさを、もう一度目におさめたくなってしまったからだ。

ただ、同じ場所を歩くのでは芸がない。この日私たちは、大仏殿の北に広がる大仏池の周辺を歩くことにした・・・が、紅葉シーズンの真っただ中、駐車場は何処も満車。あちらに行っても、こちらに行っても車を止める場所が見つからない。たまに空いていても、観光客の弱みに付け込んだ法外な駐車料金がその入り口には示してあった。

私たちはついに車を止めて紅葉を見ることをあきらめ、車窓からの紅葉見物ですまそうと決め、その次の目的地である場所に、市内の混雑を避け、いったん市街地から抜けようと奈良県庁の東を柳生に抜ける道を走っていた。

「空車」と書いた駐車場が見えた。しかも料金は・・・申し分ない安さだ。迷うことはない。私はハンドルを切り、その善意の駐車場に車を止めた。

そして・・・歩く事数分。いかにも歴史を感じさせる建造物が視界に入ってきた。

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転害門だ。東大寺の西北、正倉院の西に位置するこの門は三間一戸八脚門、堂々としたスケールだ。さがれる限り後ろに下がって撮ったのが上の写真だが、大きすぎて屋根の一部がどうしても入らなかった。平重衡の兵火(1180)、三好・松永の戦い(1667)の2度の戦火で、そのほとんどが焼失した東大寺で、奇跡的に焼け残った数少ない建物のひとつだ。天平時代の威風が偲ばれる唯一の遺構である。鎌倉時代に一回、修理の手が入ったが、基本的には奈良時代の建造物とみていい。

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これはその一部をちょいとアップしたもの。実に清々しいすっきりとした造りである。門には柵が設けられており、その下を抜けることはできないので、そのわきを抜けて更に東に進む。

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大仏殿が見えてきた。

楓の紅と、銀杏の黄が目に沁みる。

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ちょいと角度を変えて写してみた。池に写る大仏殿の紅葉した木々が何とも言えぬ美しさを醸している。これが大仏池だ。

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私たちは池の西側から、南側に回って北を見る。写真の情報に見える三角の屋根が正倉院の付属施設、西宝庫だ。正倉とは官庁や大寺には,重要物品を納めるための蔵であり、かつてはあちらこちら官庁や寺に正倉が置かれていたが、歳月の経過とともにその多くが亡び、奇跡的に東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残った。

天平勝宝8年(756)聖武天皇の忌日に、光明皇后天皇の御冥福を祈念し、その遺愛品などを東大寺の本尊、盧舎那仏(大仏)に奉献した。これが正倉院宝物の起りだ。

この正倉院宝庫は,1000年以上もの間,朝廷の監督の下、東大寺によって管理されてきたが、明治8年(1875)に、その宝物の重要性を重く見た政府がこれを内務省の管轄とし、次いで農商務省、そして宮内省(現在の宮内庁)がこれを管轄するようになった。正倉の宝物は、古来の正倉から西宝庫・東宝庫に分納して丁重に管理、保存されている。

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大仏池に浮かぶ鴨と、その畔に遊ぶ奈良公園のお決まりの鹿を見ながら、池から南に下る。道は大きく西に逸れて、かような建造物の下に出る。

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戒壇堂だ。

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天平勝宝6年(754)、聖武上皇光明皇太后らとともに唐から渡来した僧、鑑真から東大寺内において授戒する。そしてその翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院が建立された。往時は戒壇堂・講堂・僧坊・廻廊などを備えていたが、江戸時代までに3度の火災にて焼失し、戒壇堂と千手堂だけが復興された。

JR東海のCM「いま、ふたたびの奈良へ」のこの映像は必見 http://youtu.be/y96JsA5pmCU

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屋根上部の屋根瓦はもちろんその復興後のものであるが、その屋根の両端に配された鬼瓦がちょいと目を引いた。そしてそのわきに睨みをきかす狛犬のような造形も・・・

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今日は紅葉見物が目的なので、内部の拝観は止めて堂の西側からその優美な屋根の曲線を眺めることにする。びっしりと黄色い実を付けた樹木が目を引いた。

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たぶん、栴檀の実か・・・

聞くところによると、近年、沖縄に自生する栴檀の実からの抽出物がインフルエンザウイルスを死滅させる力があることが明らかになり、現在製品化を急いでる最中であるということだが、私は栴檀と聞くとそんなことよりも脳裏に浮かぶことがある。

それは万葉集巻五におさめられた山上憶良の次の悲痛な歌だ。

妹が見し楝(アフチ)の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに

巻五・798

楝とは栴檀の古称。老齢にて大宰府の長として筑紫に下り、その地で妻を亡くした大伴旅人

大宰帥大伴卿報凶問歌一首

禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳筆不盡言 古今所歎

世間は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり

神龜五年六月二十三日

巻五・793

に感銘を受けた山上憶良が、旅人の思いに思いを馳せて詠んだ歌である。この時筑前の国守であった憶良もかなりの高齢。高齢にいたって、長年付き添った糟糠の妻を失う哀しみは憶良には痛いほど理解できたに違いない。そして彼は新しく下向した自らの上司にこの歌を捧げたのである。

さて・・・これでこの日の目的は果たした。時刻はすでに1時に近い。腹の具合も何かを求め始めている。私は車に戻り、昼食の場へとかの駐車場を後にした。

この間、およそ2時間。駐車料金は200円。その時間が長かろうと短かろうと1度車を止めれば1000円、オンシーズンにはさらにその額がアップする奈良に在って、破格の安値である。まことに・・・まことに良心的な駐車場である。本来ならば、ここにその駐車場の存在を明らかにしたいのであるが、それを知ってここを多くの方々が利用するようになると、私がそこを使おうとしたときに満車になっている恐れがあるので、ここではその場所はお示しできない。もし・・・もし、どうしてもの言うお方があれば・・・上の「お問い合わせ」から、ご一報いただきたい・・・