大和逍遥   

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飛鳥坐神社・・・下

IMGP2927_edited境内に所狭しと立ち並ぶ陰陽石に圧倒されつつ、私はこの古社を後にしようとしたとき、ふとその境内の片隅にささやかな歌碑があることに気づいた。

不鮮明な映像ゆえ、如何にその刻まれた歌を記す。

 

 

みもろは 人の守る山 もとへは あしひ花さき すゑへは 椿花さく うらくはし 山そ 泣く子守る山 (巻十三・3223)

会津八一のみずくきの跡である(ただし集字)。一首の意は

三諸の山は、人が大切に番をして守っている山である。麓の方には馬酔木の花が咲き、上の方では椿の花が咲いている。美しい山だ。泣く子の守をするように人が大切に守っている山だ。

ほどであろうか。結句「うらくはし 山そ 泣く子守る山」は5・3・7となっており、早い時期の長歌の形式であること、万葉集冒頭の雄略御製と同じである。

まことに素朴な、衒いのない歌である。

少々説明が必要とされるのは初句の「みもろ」なる語であろう。この語は 万葉集に21例見られ、ミモロの語源は 「御室みむろ」とも「神籬ひもろぎ」ともされる。「三諸みもろ神奈備かんなび山」(九・1761)、あるいは「神奈備の三諸の山」(十三・3228)の例がみられるように、神のいつく場所として、「神奈備」とほぼ同義であったと考えられる。

さて、この飛鳥坐神社の住所は奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708であった。この由緒古き神の社が位置するにまことにふさわしい住所である。したがって、ここがその「みもろ」の山であるとの理解にしたがってこの歌碑がここにあるのだろう・・・が、事はそんなに単純ではない。

IMGP2933この社のある小山は鳥形山という。その鳥形山が神のいます山であるがゆえに、この地名が生じたわけであるが、実はこの山は社は初めから「神奈備」であったわけではない。祭神のお一人である賀夜奈流美かやなるみ命について、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命の御魂みたまを飛鳥の神奈備いまし皇孫命すめみまのみことの近き守り・・・」とあることから、この神社が「飛鳥ノ神奈備」にあったことが分かる。が、平安時代の史書である日本紀略の天長6(829)年3月の記事に「大和国高市たけち賀美かみ郷の飛鳥の社、同郡同郷鳥形山に遷す。神の託宣に依りてなり。」とあるのによれば、元来、この社はどこか他の場所にあった「神奈備」から、今の鳥形山に遷ってきたことになる。結果、神のいます山となり、現在の地名が生ずるにいたったものと考えられる(無論、ただちにそうなったとは思わない)。

となると、この歌が詠まれた時代(おそらくは平城遷都以前であろう)において、この歌の「みもろ」の山は、この鳥形山ではないどこかと言うことになる。先にも述べたように明日香の「神奈良備」については「雷丘いかづちのおか」    「甘橿丘あまかしがおか」、さらには橘寺の南に位置する「ミハ山」、飛鳥川上流の「南淵山みなぶちやま」と諸説が存在し、確定しがたい。もちろん私にはそれらの諸説の可否を論ずる力はない。

くわえて、この「みもろ」の山が明日香の「みもろ」の山であるのかどうかさえ、確証はない。「みもろ」は神の斎く場所であるから、当然のことながら、他の地にも「みもろ」は存在しうる。大和の国内に限っても他に「三輪山」や生駒竜田の「三室山」も「みもろ」山と呼ばれているし、大和国内という枠を外してしまえば、日本各地にこの地名は見いだすことができる。もちろん、この歌は大和国内に位置する「みもろ」を詠んだものと考えるのが妥当な線であろうが、それとて「三輪山」がその候補地として語られることも多い。

要はどこにあるのか分からない・・・それがこの歌の「みもろ」の山なのである。

 


分からないものは分からない・・・なんとも頼りのない結論を導くために長々と書き連ねてきた。以前ここで私が「万葉集に詠まれた桜井」と題して他人様の前で話をしなければならないようになったとお知らせしたが、去る2月22日がその日であった。そこでも私はこの姿勢を貫いた。1時間と30分の長々とした私の話におつきあいいただいた方々には、大変心許ない思いをおかけしたとは思うのだが仕方ない。分からないものは分からないのだ。無理に知っているように繕う必要はない。自信ありげに振る舞う必要はない。

 

そう私は信じている・・・