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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

広島に行く・・・呉にて、2

この旅の最初の見学地である呉基地係船掘をあとにした私たちが次に向かうのは同市内にある大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)。人気の施設である。呉基地係船堀からはタクシーで10分ほどである。

館内に入ると最初に私たちを迎えてくれるのは、戦艦大和の巨大な模型.。実物の10分の1のサイズのまことに巨大な模型である。今でこそ「紅旗征戎吾が事に非ず」などと嘯き、かような遺物には嫌悪の情を感じてしまう私ではあるが、かつては当時の多くの少年たちが興じていたように旧日本海軍の艦船のプラモデル作りに熱中していた時分もある。目前の巨大な模型を見て心躍らぬ訳はない。複雑な・・・実に複雑な心境である。「紅旗征戎吾が事に非ず」とする今の立場からすれば、その心の躍りこそもっとも警戒せねばならぬ危険な感情である。しかしながら、躍る心は如何ともしようがない。せいぜい私のできるのは、無関心を装うこと・・・それしかなかった。自らは認めていない種類の感情が、未だに自分の中に存在することを認めねばならぬ事は少々苦々しい思いではあるが、それもまた自らの不徹底を知るためには欠かすことのできないことと無理矢理納得させて見学を続ける。

館内の詳細は私の拙い筆に頼るよりは上記のリンクから当施設のHPに入り、そこを見てもらった方がいいだろう。私はここでもっとも考えさせられた展示について幾ばくかの感想を述べるだけとする。

数多くの展示物の中でもっとも私の目を引いたのは、やはり文字であった。この施設の愛称ともなっている戦艦大和の搭乗員たちの書いた手記、あるいは家族に宛てた手紙(中には遺書もあったであろうか)であった。一つ一つの文面に目を通すようないとまはなかったが、流し読みしたあまたの搭乗員たちがしたためた文面から感じ取れたものは「真摯」の一言で形容しうるものであった。

あるいは人あっていうであろう・・・当時のこの種の文章には厳しい検閲が課せられていたらしいから、残された文面がすべてを物語るわけではないと・・・

確かにそうであろう。しかしながら、学徒出陣により、予備少尉として天一号作戦の際にこの巨大戦艦に搭乗し、その最期を見届けた吉田満「戦艦大和ノ最後」の一節に

痛烈ナル必敗論議ヲカタハラニ、哨戒長臼淵大尉(一次室長)、薄暮ノ洋上ニ眼鏡ヲ向ケシマヽ低ク囁クゴトク言フ 「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイフコトヲ輕ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、眞ノ進歩ヲ忘レテヰク 敗レテ目覺メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ 今目覺メズシテイツ救ハレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂヤナイカ」 彼、臼淵大尉ノ持論ニシテ、マタ連日一次室ニ沸騰セル死生談義ノ、一應ノ結論ナリ 敢ヘテコレニ反駁ヲ加ヘ得ル者ナシ 出撃氣配ノ濃密化ト共ニ、青年士官ニ瀰漫セル煩悶、苦惱ハ、夥シキ論爭ヲ惹起セズンバ止マズ 艦隊敗殘ノ状既ニ蔽ヒ難ク、決定的敗北ハ單ナル時間ノ問題ナリ――何ノ故ノ敗戰ゾ 如何ナレバ日本ハ敗ルヽカ マタ第一線配置タル我ラガ命スデニ旦夕ニ迫ル――何ノ故ノ死カ 何ヲアガナヒ、如何ニ報イラルベキ死カ 兵學校出身ノ中、少尉、口ヲ揃ヘ言フ 「國ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイヽヂヤナイカ ソレ以上ニ何ガ必要ナノダ 以テ瞑スベキヂヤナイカ」 學徒出身士官、色ヲナシテ反問ス  「君國ノタメニ散ル ソレハ分ル ダガ一體ソレハ、ドウイフコトトツナガツテヰルノダ 俺ノ死、俺ノ生命、マタ日本全體ノ敗北、ソレヲ更ニ一般的ナ、普遍的ナ、何カ價値トイフ樣ナモノニ結ビ附ケタイノダ コレラ一切ノコトハ、一體何ノ爲ニアルノダ」 「ソレハ理窟ダ 無用ナ、ムシロ有害ナ屁理窟ダ 貴樣ハ特攻隊ノ菊水ノマークヲ胸ニ附ケテ、天皇陛下萬歳ト死ネテ、ソレデ嬉シクハナイノカ」 「ソレダケヂヤ嫌ダ モツト、何カガ必要ナノダ」 遂ニハ鐵拳ノ雨、亂鬪ノ修羅場トナル ・・・・<中略>・・・・臼淵大尉ノ右(上)ノ結論ハ、出撃ノ數日前、ヨクコノ論戰ヲ制シテ、收拾ニ成功セルモノナリ

とあるのを想起したとき、彼らが如何に自らの生の意味について真摯に考えていたかは明瞭である。当然、その真摯さは自己の有り様だけではなく、肉親や郷土へも向けられている・・・私は彼らの残した文章を、そのように見て取った。

問題は、このような文章に接した時、人が何を思うかである。

以前、知覧の特攻平和会館を訪れた遠い知人がやはり特攻に赴いた若者たちの遺書を読み、いたく感動し、それに比して今の若者たちが如何にふがいないかを嘆く言葉を聞いた。同じような言葉をかつての宰相の言葉としても聞いたことがあるが、同じような考えを抱く人々も多いのではないだろうか・・・「きけ わだつみのこえ」あたりを読んでを目にしたときの「かつて」の私も同様な感情を覚えた記憶がある。

しかし、本質は違う(少なくとも「今」の私には)。このような遺産を・・・生かす道はそうではないのだ・・・。昨今の若い人々(かつての私もそうだった。)がふがいないのは、こういった遺産を残した若者たちにように、自らの生を真摯に見つめる必要がないからだ・・・敢えて言えば、死を前提として自らの生を見つめ返す必要がないからだ。確かに自らの生の意味を真摯に問うことはすばらしいことだとは思う。けれども、その前提となる死が他者から押しつけられたものであるとするならば、彼らにその死を押しつけた人々は強く弾劾せられなければならない。

繰り返す・・・戦争はあくまでも外交の失敗なのである・・・政治の貧困の結果なのである・・・と。

そして、この種の遺産は、過去の政治の貧困を、そしてこの国の人々が再び過ちを繰り返そうとすることを今なお糾弾し続けるのだ。そして、それはこの博物館の存在意義でもある。当時の造船技術の粋を集められて作られたかの巨大戦艦を褒め称え、その栄光にすがるだけの施設ではなく、その巨大戦艦がなぜかくも無残な最期を遂げねばならなかったのか、その理由を作ってしまった人々を糾弾するためのものでなければ、無謀きわまりない戦いで命を落とした犠牲者たちの御霊はけっして浮かばれはしない・・・

そして今・・・この国の趨勢を考えた時、私は、その御霊たちに何かしら申し訳ない気持ちに襲われるのである。

 


※異論も多々あろうが、私は現宰相がしばしば口にする「英霊」という言葉は使いたくないと思っている。私にとって彼らは政治家の無能さの犠牲だと思っている。犠牲者を「英霊」に格上げすることにより、政治家たちが無能であったことに蓋をしようとしているようにしか私には聞こえてこないのである。