大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

広島に行く・・・宮島にて、1

旅行の2日目、昨夕寝床に着いたのが1時過ぎではあったが、6時過ぎには目が覚めた。どれほど飲んだか覚えているほど無粋な人間ではないが、比較的さわやかな目覚めであったことからすれば、さほど飲んではいなかったのだろう。早速寝床を出て、ベランダに出る。 夜明け予想通り、宮島から日が昇っている。予定された7時に朝食を済ませれば、あとは船に乗り、この島に向かうのみだ。 朝食はよくあるバイキング。取り立てて紹介するほどの品もなかったが、私の場合、バイキングとなるとどうしても食べ過ぎになってしまうのは必定である。普段の朝ならその日の勤務を考え、重い気持ちのために萎えてしまう食欲が、勤務のない日・・・ことに旅の朝には・・・どうしてもそのたがが外れてしまう。そしてバイキングという形態の食事には、その際限のない食欲にかけるブレーキがない。結果、旅に出た際にはいつものことだが、重い腹を抱えながら宿を出ることになる。

宿からは来たときと同じように、宿の送迎バスを使う。9時ちょっと前には宮島口の駅に着いた。駅からまっすぐ南に下ればフェリーターミナルだ。我々はここから船に乗り込み海を渡る。 鳥居海船上にある時間は25分ほど。船は宮島側の港にまっすぐには向かわず、かの水中に立つ大鳥居に向かい、そこから東に方向を変えて港へと向かう。船の上の観光客に対する配慮である。フェリーを利用するのは、島の業者であったり、島の住人であったりもするのだが、その大部分が観光客である以上、欠くことのできない配慮であるだろう。

 

 

さて港に着いた。港前の広場から海沿いに100mほど西に進むと、道はそのまま海岸沿いに厳島神社に向かう道と、一旦左に折れてから再び西に折れて、土産物屋街を抜けて厳島神社に向かう道とに分かれる。私たちは当然後者の道を選ぶ。 街なか土産物屋街のあちらこちらをひやかしながら歩くが、まだ早いせいか閉じたままの店が多い。「なあに、帰りしなにはみんな開いているさ。」と気楽な思いを抱きつつふらふらと進んで行くと、道のほぼ中程に異様なオブジェが・・・

 

しゃもじ

 

宮島名物のしゃもじである。寛政年間、宮島にある光明院の僧、誓真が、主たる産業がなかった宮島の人々のために、弁天のもつ琵琶と形が似たしゃもじを宮島参拝のみやげとして売り出すことを島民にすすめたのがことのを起こりだそうだが、今我々の眼前にあるものはあまりに巨大すぎる。全長7.7m、最大幅2.7m重さ2.5tのこのしゃもじは埼玉産の樹齢270年のケヤキを用いたものであるという。伝統工芸である宮島細工の粋を後世に伝えるとともに、しゃもじで知られる宮島のシンボルとして 昭和58年に2年と10ヶ月をかけて制作されたものらしい。

いったい、こんなしゃもじを誰が使うのか・・・奈良の大仏さんでもこんなしゃもじでは大きすぎるだろう・・・なんて、大和の人間は素直に思ってしまう。

土産物屋街は全長約300m、いくらふらふら歩いたところでさして時間のかからぬうちに抜けてしまい。そして抜けてしまったあと私たちを迎えてくれたのは・・・

大鳥居 鳥居

 

 

 

 

狛犬さん

狛犬左

 

 

 

 

 

そして・・・のんびりとひなたぼっこを楽しむ鹿さんたちであった。

鹿1

 

 

 

 

 

いずれも大和に住むものとって少しも珍しくもないものであるが、ちょいと気づいたことが一つ。

鹿2

奈良公園の鹿さんは観光客が近寄って来ることに気づくと、向こうからも近寄ってくる。そして礼儀正しくお辞儀をしてくれる。しかるに、宮島の鹿さんは・・・じっとしたまま、こちらをちらっと見るだけである。上述のごとき礼儀正しい鹿さんになれた大和人から見ると、この宮島の鹿さんの不遜な態度はいかにも腹立たしい(笑)。一行の誰かが言った。「宮島の鹿はしつけがなっとらん・・・」と。

なんのことはない。ここ宮島の鹿さんは奈良公園の鹿さんにように、人間から食物(鹿せんべい)をもらう習慣がないのである。奈良公園の鹿さんは、人間から鹿せんべいをもらうためにお愛想を示しているに過ぎない。それが証拠に、奈良公園でも、見るからに誇り高そうな鹿さんは、自ら人間に近寄ってお辞儀をしてまでしかせんべいをねだったりはしない。