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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

再び、閑話休題・・・桜井の桜

別にどうしても書かなければならない理由があるわけでもないのだから、打っ棄ってしまえばいいものだが、先月初めの広島行きの記事が中途であるのが気にかかる。あと2回ほど書けばなんとか家まで帰りつけるのだが、まだ旅の途中にいるようで心が落ち着かない。ならば、さっさと書いてしまえばいいものを・・・ダラダラとしているうちに桜の季節がやってきてしまった。

広島行きは、記事を書きはじめた時からすでに過去のことになってしまっているが、桜は現在進行形である。しかも、過去のことになってしまってはあまりに興ざめ・・・

ということで、今回もちょいと本筋をそれて大和の春をお届けする。私の住んでいる桜井市内の桜の名所の紹介だ。

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一つ目は初瀬川万葉集では泊瀬川と書く)。金屋河川敷に咲き誇る染井吉野である。

ここの桜はそれほど古いものではなく・・・とはいえ私がこの町に住み始めた25年ほど前にはそこそこ咲いていたと思うから、そんなに新しいわけでもない。とある、町の篤志家が亡くなったその身内の方の御霊を弔うために植えたのがそのはじめであると聞く。

後ろに見える山が、私のブログではしばしば登場する三輪山。桜並木から三輪山にかけての一帯が金屋。かつては海石榴市(つばいち)と呼ばれていた(異説は存在する)。初瀬川、三輪山、海石榴市・・・いずれも万葉集に詠みこまれた歌枕である。

もうちょっと全体が窺えるような写真を一枚・・・

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続いては長谷寺だ。

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境内が枝垂れやら染井吉野やら・・・桃やらの花が咲き乱れ、さながら花の雲の上に堂塔が浮かんでいるような錯覚を覚える。

花の寺を自認するに足る見事な光景である。

さてここからは選集の週末の写真。

土曜日の朝私はいつもの如く散歩に出た。

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大神神社参道と並行して走る急な坂道を上り詰めた場所に咲く染井吉野である。

この坂を上り詰めた場所を左に曲がれば大神神社である。

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本来ならばここで大神神社の様子をお伝えすべきであろうが、毎度毎度のことなので、今回は省略。今日のお目当ての場所に向かう。

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途中で見かけた山桜である。染井吉野よりははるかに色淡く、葉も同時に出てくるせいか全体がほんのりと緑がかっている。清らかだ・・・実に清らかである。

しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花

とは、本居宣長先生の有名な一首である。引用があまりに長きにいたるのを恐れるが故、ここはその紹介だけにとどめておくが、本居宣長記念館のこの歌についての解釈は、染井吉野なんかを日本古来からの桜と勘違いして、その一斉に散りゆくさまと若者たちの命をなぞらえ、それが「大和魂」だなんて理解している輩には必読の一文であろうと思う。

染井吉野がクローン植物として、江戸の地にて、この世に生まれたのが、どう早く見積もっても1730年頃、ちょうど宣長先生が生まれたころだ。しかも、このクローン植物が絶大な人気を持って日本国中に広がり始めたのが明治に入ってから・・・つまり、宣長先生は染井吉野を見たことがないというのが本当のところだろう。しかも、先生はわざわざ「山桜」と書いているではないか・・・山桜は染井吉野の様に一斉に咲き、一斉に散る・・・なんて咲きざまは示さない。宣長先生の言うところの「やまとごゝろ(大和心)」とは、

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この山桜の持つ一点の汚れもない清らかさを言っているのだ。この国古来の人々の心情を理解しようと、医業の傍ら、古代文学にその生涯をささげた本居宣長をしてかくの如き理解である。

けれども、こんなことを言ってはいるものの、私は決してアンチ染井吉野ではない。それはそれで染井吉野は美しい。その美しさは当然評価されるべきである。しかしながら、それがある種の思想(思想と呼べるほど高尚なものではないと思うが)と結びつくことが、腹立たしく感じる気持ちを禁じることが出来ないだけである。

なんてことを思いながら歩いていると、いよいよ目的の場所に近づいた。

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大美和展望台だ。

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もはや、言葉はいらない。咲き誇る桜たちに当然とするのみである。

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