大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

広島に行く・・・アナゴ丼と錦帯橋

長々と続いてきた、3月初旬の広島旅行のレポートだったが、もう黄金週間が始まってしまう。そろそろ終わりにしなければならない・・・

・・・宮島にて贅美を尽くした中世から近世にかけての建築に堪能した後は、空腹を慰めねばならない。私たちは宮島の船着き場に戻り、対岸への宮島口へと船の上の人となる。

そうそう、言い忘れていた。厳島神社へのお参りが終わり、船着き場に戻る途中の土産物屋街で「金350円也」のカキフライを食べた。大ぶりの牡蠣フライが3個。土産物屋の店先に突き出た屋台のような場所で、無愛想な主人が牡蠣を揚げていた。3個で350円が高いのかどうかは分からないが、昨夜宿で食べた牡蠣よりははるかに上質であったことだけは確かであった。

さて、牡蠣フライ3個で私の空腹が鎮まるわけはない。宮島口の港に着くとすぐに私たちが向かったのは、近辺でも評判のアナゴ丼の専門店・・・あなごめし うえの・・・である。

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評判の店ゆえ、待たねばならぬ。店の人に聞けば1時間は待たねばならぬという・・・まあ、そんなに急いでいるわけではないし、周囲に手ごろな店も見当たらない。我々は行列の後ろに並び他愛もないことを話しながらその時を待った。

そして・・・1時間(と言うほどでもなかった。みなさん、居並ぶ行列に気を遣いお急ぎでお食べになったのであろう)。

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評判のアナゴ丼は私たちの目の前にあった。魚と醤油・・・そしてほんの少しの砂糖の焦げたような香りが漂い、充分に腹を空かせた私たちを誘う。表面はパリッと、そして中がふわりとした上質の焼き加減である。たれも甘みを抑えた上品な味だ。評判になるのはもっともだ・・・などと考えながら、昨年の夏に郷里である松島で食べたアナゴ丼を思い出していた。写真のアナゴ丼は6切れのアナゴがご飯を覆っているが、松島のそれはたった2枚であった。つまりそれだけ大ぶりのアナゴを使っているからだ。当然、その分だけ身も厚いし、脂も乗っている。ふわっと加減、滴るあぶらの甘みは・・・あっちの方が上だったな・・・とか、それにしても、この広島の小ぶりなアナゴの引き締まった身の味わいもなかなか捨てがたいな・・・とか考えていたら、目の前にあったはずのアナゴ丼(大)は、すべて私の胃の中に収まってしまっていた。

食事が済んだ後向かったのは・・・ちょいと広島から離れて山口県。岩国は錦帯橋に向かった。

宮島口から電車で広島に戻り、そこで岩国に向かう電車に乗る。

余りにも前のことになるので、どれがどれほどの時間だったのか忘れてしまったが、30分を切るようなことはなかったと思う。岩国の駅からはタクシーだ。

遥か彼方の山の上に小さな天守閣が見えてきた。

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岩国城である。岩国城は慶長13年(1608) に初代岩国藩主の吉川(きっかわ)広家が、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害、横山の山頂に築いたものである。が、その7年後も慶長20年(1615)に幕府から出た、一国一城令により、取り壊しとなった。現在の天守は1962年に復元されたものであるそうだ。

そしてその岩国城が、その領地を睥睨する横山の麓を帯の様にめぐる錦川のかかっているのが

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錦帯橋である。一国一城令がだされ、横山山頂の城を取り壊した後も、吉川家その麓にて政治を行った。その麓から岩国の町に出るためには、当然、橋が必要である。錦川には数度、橋が架けられたがその度に洪水により流されてしまう。3代領主吉川広嘉は、洪水に耐えられる橋を造ることを目論む。橋脚を無くせば流失を避けられるのではないかと考え、大工の児玉九郎右衛門に、甲州にある橋脚がない跳ね橋である猿橋の調査を命じた。が、猿橋のかけられていたのはわずか30mの川。錦川の川幅は200mである。同様の跳ね橋とするのには無理がある。

その時だ・・・広嘉が明から帰化僧、独立性易(どくりゅうしょうえき)から、杭州の西湖には、島づたいに架けられた6連のアーチ橋があるときいたのは。これをもとに、広嘉は連続したアーチ橋という基本構想に至る。アーチ間の橋台は石垣で覆った強固なものにすれば、洪水に耐えられる。

広嘉は、早速、児玉九郎右衛門に命じ、設計を始めさせる。延宝元年(1673)、5連のアーチ橋の錦帯橋が完成する。が、翌年、洪水により流失。同年、橋台の敷石を強化して再建。その後は昭和期まで250年以上流失することなく定期的に架け替え工事が行われ、その姿を保った。

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見事な構造である。

 

・・・さて、そろそろ帰途に着かねばならない。

帰りは新岩国の駅から新幹線。

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実に閑散とした駅であった。我々の集団(10名弱)意外にホームにいるのは・・・誰もいなかった。駅前周辺のすたれ具合からしても、このような場所になぜ新幹線の駅があるのか不思議でならなかったが・・・このすぐそばに現首相のおじい様やその弟が生まれていることを考えれば、その不思議も霧消してしまった。