大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

さあ、お読み下さい・・・一編の詩

あの日以来、折あるごとにふと脳裡をよぎる詩が一編ある。その詩の全てをそらんじているわけではないが、その部分部分が口について出てくるのだ。その詩を以下に示してみたいと思う。著作権という観点からすれば・・・ちょいと気がひけるのであるが・・・そんなことを越えて、少しでも多くの人と共有したい・・・強く、そう思う・・・

こわれたビルディングの地下室の夜だった。 原子爆弾の負傷者たちは ローソク1本ない暗い地下室を うずめて、いっぱいだった。 生ぐさい血の匂い、死臭。 汗くさい人いきれ、うめきごえ その中から不思議な声が聞こえて来た。 「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。 この地獄の底のような地下室で 今、若い女が産気づいているのだ。 マッチ1本ないくらがりで どうしたらいいのだろう 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。 と、「私が産婆です。私が生ませましょう」 と言ったのは さっきまでうめいていた重傷者だ。 かくてくらがりの地獄の底で 新しい生命は生まれた。 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。 生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも (栗原貞子『中国文化』一九四六年三月) http://www.youtube.com/watch?v=ae9iRxXRegc

こうやって他人様の詩歌を紹介するにあたって、あれこれと解説を加え、せっかく読んでくださる方の興味をそいでしまうのが私のくせであるが・・・この詩はどうにも解説を加えようがない。この詩の、詩としての完成度を語るような力は私にはない。しかしながら、そこに描かれている人々の尊さは、そんな私を捉えて止まない。

けれども・・・それが何故なのかを言い表すすべを私は持ち合わせてはいない。そして、せめてその主題を一言で象徴しうる言葉を探そうともするがどううにも見あたらない。この詩に出会って、もう30年。あれこれと試みてみることはあった。しかし、一度も心に落ちる言葉に出会ったことがない。

尊厳?・・・誠意? それとも・・・再生?

乏しい私の語彙の中には、どうやらそれは存在しないらしい。後は皆さんにお任せする。こんな時期だからこそ、いつにまして読む値打ちのある詩だと思う。この詩に事情を同じくする出来事も、とある避難所にはあったかと聞く。

さあ、読んでください

そして思うことがあれば、お聞かせ頂ければ幸いこれに過ぎることはない・・・