大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

ナルワントイヤナヤ

とあるメロディーが、最近頭について離れない歌がある。どうかすると、知らず知らずのうちに口ずさんでしまう。

ナルワントイヤナヤホーイヤホー ナルワントイヤナヤホーハイヤン ハイナルアントイヤナヤホー

なにやら怪しげな呪文のような歌である。

もちろん、それは決して呪文などではなく、囃子言葉のようなもので、その歌には次のような歌詞がある。

月が出ましたよ 月が出ましたよ かわいい妹の月の眉

星が出ましたよ 星が出ましたよ かわいい妹の首飾り

雨が降りました 雨が降りました かわいい妹の涙雨

かなり以前に聴いた歌ゆえ、上の呪文のような囃子言葉を含めて、細かいところには記憶違いもあるかと思うが、おおかた間違いはなかろうかと思う。あんまり口をついて出てくるものだから、その冒頭の「ナルワント」だけをgoogleの検索にかけてみた。まさかこんなのが出てくるわけはないよなと思いながら・・・

すると・・・こんな動画にたどり着くことが出来た。

http://youtu.be/S2X0STSwWJg

設定の加減で、リンクを貼るとうまく映らぬゆえ、上のアドレスから見に行っていただきたいと思う。画像が曲とどう関係あるのかどうにも理解が出来ないような動画であるが、流れてくるメロディーは30数年前に聞いた、まさしくその曲であった。中国語である。ただし、囃子言葉の部分は中国語ではない。たぶん高地民族の言葉なのであろうか。囃子言葉なのだから意味などはなくっても良いわけだが、ぞの字面を見るに、どうにも中国語らしくない。

那奴灣多依呀那呀喝依呀嘿 那奴灣多依呀那呀喝嗨呀 喔依那奴灣多依呀那呀喝

おそらくは台湾高地民族々の言語を漢字音で表記したものであろう。上にあげた私のカタカナ書きのこの囃子言葉とは、所々違うような気もするが、まあ、そのあたりは外国語の・・・聞き取りの問題と言うことにしておこう。ただ、上の動画は中国語(囃子言葉はおそらくは台湾高地民族のことば)で歌われたもので、私がかつて聞いた日本語に訳されたそれではない。

ということでさっそく日本語に訳されたものを探す。早速それは見つかった。

先に紹介した歌詞、そして囃子言葉と若干異なるような気もするが、おおむね私の記憶は間違ってはいなかったように思う。自分の記憶力をちょいと褒めてあげたいような気分になった。

ところで、一度も台湾にどころか海外に行ったことがない私がなぜこんな歌を知っているのか・・・それは30数年前に遡る話だ。例の私の母校の万葉集の研究会で私はこの歌を覚えた。それは確か大学に入って2回目の夏である。私たちは恒例の合宿のため出雲へと出かけていた。万葉歌にちなむ場所を合宿の地に選び、出かけた先々にちなむ万葉歌を、それぞれが担当し調べ、その結果を報告しあうというのが私たちの合宿だった。もちろん、せっかく出かけたのだから、その報告の合間にはそれぞれの歌にちなんだこちにも出かけてみるが、多くはこの報告に時間を費やしていた。

そして、その日一日に予定された報告が終わると・・・酒宴となる。そして私たちはその酒宴にてこの歌を師より口伝された。

学生の頃、私には二人の師がいた。一人はその春に大学院を出たばかりの気鋭の師。そして、もう一人がその春まで私の母校に務め、定年によって退官なされた師である。この師については以前少しく述べたことがある。

http://soramitu.net/zakki/archives/2939

定年にてその年の3月末に職務上においては大学を去られていた師は、その後台湾の大学で9月より教鞭をふるう予定でいらっしゃたので、それまでの間、新しい師との引き継ぎも兼ねて、この合宿まで私たちの研究会に付き合ってくださっていた。師は植民地時代の台湾のお生まれで、京都の大学を卒業の後我が母校に勤め始めた。二度目の職場に台湾の大学をお選びになったのは、あくまでも私の想像でしかないが、その郷愁ゆえのことであろうかと思っている。

その師が・・・この歌を教えてくださった・・・

師は酒宴の際にはいつもお気に入りの、三重は赤目の銘酒「滝自慢」の純米と濁り酒を差し入れてくださった。

そして、その何日目の晩のことだったろうか・・・師はこの歌を私たちに教えてくださった。口から口へ・・・まさしく口伝である。

その時、師がこの歌の二つの言葉について興味を示しておられたのを覚えている。

一つ目は繰り返し使われる「妹」という言葉だ。文脈上は、ここの「妹」は「愛しい人」の意と見ることしかできない。ならば、今の私たちにとってみれば、もっと適切な言葉があったのではないか。ここのメロディーに合わすのであるならば「あの娘」で充分なはずだ。それなのにここにあるのは「妹」と言う語である。。万葉集では愛する女性を「イモ」と呼び「妹」と表記することが多いが、それと同じもの言いだ。

もう一つは「かわいい妹の月の眉」と言う部分。愛しい人の眉根と三日月を重ね合わせるのは例えば大伴家持

振りさけて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも

と同じ発想ではないか・・・と。

以上の2点がである。

ただ、我々が万葉人と台湾高地民族の発想の類似性をこの歌より指摘するためには、日本語に翻訳される前の歌詞に、それがなければならない。ということで、この歌の歌詞を調べてみた。

月亮啊 已經出來喲 美麗的月亮爬上那東邊的山坡 我們趁此良宵跳舞唱歌 朋友啊 快來快來喲 皎潔的月亮已經照上了椰樹 來啊 大好夜色來跳舞唱歌

全くその意を解することはできないが、どうやら、先の2点に関するような文字は見当たらない。ならば・・・この詩を翻訳するにあたって、我が国の翻訳者が考案したものなのだろうか・・・とすれば、その翻訳者が万葉集における上のようなもの言いを意識したのであろうか?

ここから先は眉に唾をたっぷりと付けて読んでほしいのだが、私にはどうしてもそうは思えない・・・この歌が台湾高地民族の歌である以上、もともとは上の中国語の詩ではなく、高地民族のそれであったであろうと思われる。上の詩は恐らくそれを中国語訳したものであろう。そしてその中国語訳の際に、幾分かの改変が加えられたことは充分に考えられる。「眉月」なんて言葉はあるから中国語にも三日月から愛しい人の眉を連想させるなんて発想はあったのだろう。けれども、愛しい人を「妹」と同義の語にするには、漢字としての「妹」はどうにも意味の範囲が狭すぎる。ゆえに翻訳の際に訳することが出来なかったのではないか・・・三日月=眉根なんて発想についても、たとえそんな発想が中国側にあったとしても翻訳の際に必ずそれを翻訳に生かさなければならないということではない。

ならばその原型は・・・と調べてみたが見つけることはできなかった。まあ、仮に見つかったとしても私には解読が不可能だから結果は同じだが・・・

こんな事を考えていたら、小学校の5,6年の2年間を担任していただいた先生の昔話を思い出した。この先生もまた湾生(植民地時代の台湾生まれの2世、3世の日本人)であった。先生は言う。向こうの高地民族には山ごとに言葉があって、共通の言語を持っていなかった。これに共通の言語を教えしめたのは日本であると・・・台湾に漢民族の支配が及んだのはそんなに古い話ではない。17世紀のことだ。そして、彼らは高地民族に共通の言語を持たせようとはしなかった。清朝はこの地を「化外(けがい)の地(「皇帝の支配する領地ではなく、中華文明に属さない土地の意)」とし、原住民については「化外の民」としてこれを積極的に教化しようとはしなかった。ひょっとするとそのほうが統治しやすかったためかもしれない(この辺りは確か丸谷才一の「裏声で歌へ 君が代」あたりにも書いていたような気がする)。

そんな事情を考えると・・・まずは、この台湾高地民族の歌に先に触れて自分たちの国の言葉に直したのは、日本人の方が先だったのかもしれない。そして、太平洋戦争後大挙して台湾島に流入した民国政府を中心とした大陸の人々が上のような中国語詩を付けたのではないか・・・というふうに考えることが許されるのではなかろうか・・・ならば、万葉人と台湾高地民族との発想の類似性・・・

・・・と、ここまで書いてきて、そろそろ頭がこんがらがってきた。言っていることもだんだんといい加減な内容になってきた。どうにも脳味噌にスタミナがない。ボチボチ筆をおくことにする。

ところで、上に「湾生」という言葉を使った。おそらく辞書の類では見ない語であろう。私がこの語を知ったのも、この師のおかげである。師は定年を迎え、再び台湾の地におもむく際に一冊の書をものされた。「湾生の記」という一冊である。師は私たち一人一人にその一冊を下さった。まだ学び始めであった私もそれをいただくことが出来た。

何度も何度も読み返した・・・

30年以上たった今、その一冊は私の手元にはない・・・繰り返された引っ越しのどこかで大切にしまい込みすぎたのかもしれない。いくら本棚をひっくり返しても出てこない。まさか捨てるわけもないから、本棚のどこかにはきっとあるはずなのだが・・・

今最も読みたい本の1つである・・・

最後に・・・今回「杵歌」と呼ばれているこの歌を紹介するにあたって、いろんな方が歌う「杵歌」をきいた。人気のある曲なんだなとつくづく思った。そんな中で私が最も見事だと思った歌唱をお届けしよう。