大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

田原の里へ・・・手向山八幡

今回もまた古い思い出話にお付き合いいただく。

それは私が学生だった頃・・・3回生であったか、4回生であったどうにも定かには思い出せない、それほど昔のことである。以前にも紹介したように私は学生の頃、在籍していた国文学国語学科内において学生によって自主的に運営されていた万葉集の研究会に所属していた。その詳細は以前の記事に少し紹介してあるので、もし興味を持っていただけたのであればそちらを参考にしていただきたいが、その研究会は、毎年の春と秋に万葉1日旅行(そんな名称ではなかったと思うが)を催していた。今から書くのは、そのうちの秋の1日旅行でのことである。

その日の主たる目的は、奈良市の東部山地に位置する田原の里(正確には此瀬町トンボ山地区)。その斜面に営まれていた茶畑において1979年1月23日に発見された太安万侶墓所を訪ねることであった。太安万侶はご存じの通り古事記の編纂者。それまでその存在を疑われ、その存在の不確かさゆえ古事記偽書とまでささやかれていた状況を、この発見は一変させた。詳しいことは後ほど述べるとして、とにもかくにも私たちは出発地の近鉄奈良駅前に集合した。

11月後半・・・冷たい雨の降る日であった。全員の到着を確認した後、一同はおのおの傘を持ち、あるいはカッパを着込んで東に向かい歩き始めた。最初の目的地・・・これが恥ずかしい話しながら正確に思い出せない。近鉄奈良駅の北側を東西に走る二条大路をまっすぐに東に向かい、東大寺を抜けて手向山八幡から春日大社に向かったのか、それとも近鉄奈良駅の東を南北に抜ける東向商店街を南に下り三条大路まで行って、そこから東進し春日大社までいったのか・・・これが定かでないのだ。30年を越える過去のことを、手元に何の控えも持たずに思い出そうというのだから、これは仕方のないことだと自分に言い聞かせ(以後の記事もこれに倣う)、以下の記事を書き続ける・・・ので、みなさんもその点をご了承の上お付き合い願いたい。なお、以下の記事中に使われる写真は、もちろん当時のものではない(例外があるかもしれない)。最近カメラというものを手にするようになって撮影したもの、そしてネット上に存在する著作権フリー(この際はその出典を明らかにするつもりだ)のものを利用するつもりである。まずは、行ったかどうかが定かではない手向山(たむけやま)八幡。ご存じ天神さん(菅原道真)が

このたびは (ぬさ)もとりあへず 手向山  紅葉の錦 神のまにまに

と詠んだ・・・そんな御社である。

s_IMGP1446.jpg創始は天平勝宝元年(749)、東大寺の建立にあたってその守護神として宇佐八幡宮より勧請されたのがその初めとされる。当時は平城宮の南に鎮座していたが、後に東大寺中門前の鏡池付近に移される。さらに治承4年(1180)の平重衡が南都焼き討ちを行った際に焼失し、建長2年(1250)に北条時頼が今ある場所に再建した。主祭神応神天皇応神天皇がなぜ八幡様主祭神となるかは以前かなり詳しく述べたのでそちらをご参照願いたい。また他に姫大神仲哀天皇神功皇后仁徳天皇祭神とされているが、そのうち仲哀天皇神功皇后がなぜ応神天皇とともに祀られるのかは、その次の記事に考えを示しておいた。仁徳天皇が祀られているのは、仁徳天皇がその皇子なるが故であろう。

写真が初夏のものゆえ、そこからは窺い知れないが、上の歌にも詠まれているように紅葉の名所とされており、して知られている・・・と、観光ガイドなどには紹介されたりしていて、上で私も

手向山八幡。ご存じ天神さん(菅原道真)が

  このたびは もとりあへず 手向山  紅葉の錦 神のまにまに

と詠んだ・・・そんな御社である。

なんて書いたりしてしまったが(リンクで示した以前の記事でも)、実はこの「手向山」、その所在は確認されてはいない。いくつかの註によれば奈良と山城の境界の山々・・・すなわち平城山のどこかの峠だとか言われているのが一般的らしく、どうやら、私は一般的な観光ガイドに安易に従ってしまったらしい。まあ、私にはどっちが正しいのかはわからないが、手向という言葉自体、「たむけ」→「たうけ」→「とうげ(峠・・・幣を手向けて神の機嫌をとらねばならない旅の難所)」との変遷をたどる語であるから、後者のように考える方が自然に思える。

しかも、この御社が今の位置に移ったのは、上述の如く建長2年のこと。天神さんはそれよりも350年以上も前の方であるから、ここで褒め称えられているのは今ある場所の紅葉ではない。

この歌が収録されている古今和歌集の詞書には、

朱雀院のならにおはしましける時に、たむけ山にてよみける

とあるが、ここで朱雀院とは宇多上皇のこと。その宇多上皇が昌泰元年(898)十月二十日に行なった吉野山麓宮滝御幸に随行した際の菅原道真の作と思われているが、この作は以上のような事情を充分に考慮に入れて読まねばならない作であること気に留めておく必要がある。

さてこの時の一日旅行で行ったかどうかも定かではない手向山八幡についてはここまでにして、次の目的地に進もう。春日大社である。ここは確かにこの日訪れている。その日、一日旅行に同行して下さった我が師のお話まで明瞭に記憶している。