大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

大神神社観月祭

大神(おおみわ)神社参道である。

IMGP3738editedいつも私がこの参道を歩くのは朝がたで、その時には両脇に生い茂る木立が作りなす清爽の気にあふれているのだが、今日はちょいと雰囲気が違う。 参道の左右の端に立ち並ぶ灯籠には一斉に灯がともり、その中央にもちらちらとろうそくの灯が揺れている。幽玄・・・という言葉がふさわしいかどうか私には判断をしかねるが、その語の本義が「深遠微妙な性命的神秘性を意味する(世界大百科事典2版)」のだとすれば、私がこの光景を見たときに、この二字を思い浮かべたこともあながち見当外れとは言えまい。なんと言っても、この二の鳥居の傍の掲示板には「幽玄」の二文字が記してある。

揺らめく灯りの中、私は参道を進む。もう午後7時に近いというのに、参道を歩く人の数は、昼のそれ以上である。やがて拝殿が見えてくる。ここもまた揺らめく灯りにてらされて、えもいわれぬ雰囲気を醸し出している。神が・・・大物主神が、この奥に鎮まりいます・・・まさにそんな気持ちにしてくれる雰囲気が辺りには漂っている。その時私の耳に、微かに、しかしながらまことに以て粛々たる楽の調べが聞こえた。そうだ・・・今日私がこの場にきたのは、それが目的だったのだ。

私は静かに拝殿に向かって会釈したあと、拝殿の北に新しく出来た祈祷きとう殿前の斎庭ゆにわに向かった。仲秋の名月であったこの日、大神神社では観月祭が催され、祈祷殿の前にしつらえられた舞台で舞楽の奉納がある。観月祭は毎年執り行われており、同じような儀式が毎年繰り広げられているのだが、三輪の地に住み始めて四半世紀も過ぎた今日、初めて私はそれを見る機会を得た。

IMGP3754edited拝殿からは、参集殿によって祈祷殿前の斎庭への視界は遮られている。ただ粛々たる調べが聞こえてくるのみである。私は心を躍らせながら参集殿の回り、斎庭へと出た。そこだけが明るく照らされた舞台の回りは、暗くて定かではないが大方500ほどの人々が詰めかけていたのではないかと思われる。

4人の巫女による優雅な・・・実に優雅な神楽の舞がもうすでに始まっていた。500人もの人々がごった返しているというのに、そこはまことに静寂で、ただ神職たちの奏でる楽の調べが聞こえるのみであった。やがて神楽は終わる。いよいよ舞楽の奉納である。静々と舞台から去った巫女たちのあと、厳めしく、堂々と舞人は舞台へと上がる。

演目は「蘭陵王」である。

IMGP3795edited蘭陵王は実在の人物で、姓名を高長恭といった。中国南北朝時代(5~6世紀)の人物で、別名を羅陵王とも言った(高粛、高孝瓘とも)。北斉の皇族出身の武将で、突厥北周との戦いにおいて武名をあげた。しかしながら後に主君に疎まれて死を賜った悲劇の人物である。史書(北斉書、北史)には「音容兼美」と記され、顔立ちと声が美しかった人物とされる。また『隋唐佳話』では「白類美婦人(白きこと美婦人の類いなり)」と記されているように、色白で女とまがう美男子と形容された。

勇猛かつ容姿にすぐれた貴公子・・・それが蘭陵王であった。

雅楽の曲目としての「蘭陵王」はその戦勝を兵たちが喜び、蘭陵王の勇姿を歌ったのが曲の由来とされている。そして、いつしかそれに合わせて舞が舞われるようになった。

IMGP3799edited武人の舞らしい勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持つ・・・というのが、世間の評であるがまあ、そのあたりのところは私にはよく分からない・・・と思っていたが、実際にその舞を見ていると、なんとなくわかるような気がしてきたから不思議なものである。

粛々と調べは斎庭に響く。舞人は初め静かに、踊り始める。

してその動きは次第に激しく、そして力強いものへと変わって行く。ところで・・・蘭陵王は上にも書いたように「音容兼美」「白類美婦人」と評された美青年である。しかるに、写真で見るところの「蘭陵王」の舞人は、実に厳めしい、獰猛な顔つきの面をかぶっている。身につけた衣服自体は絢爛豪華で、「音容兼美」「白類美婦人」の美青年を表象するにたる風情であるが、この面だけは、あまりにそぐわない感が無いでもない。そこには次のような言い伝えがある。

IMGP3801edited蘭陵王はわずか五百騎で敵の大軍を破り洛陽を包囲するほどの名将であったが、そのあまりに美しい容貌と声のために、自軍の兵達が見惚れて士気が上がらず、くわえて敵に侮られる恐れがあったため、戦いの際には、必ず獰猛な仮面をかぶって出陣した。写真の舞人のかぶるこの厳めしい仮面はその故事にちなむのだという。

仲秋の名月の夜の清涼な空気の中、私はこの悲劇の美青年の勇姿にただただ歎じ入っているのみであった。

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