大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

田原の里へ・・・文豪の住処

春日大社若宮を後に、私たちはその南に広がる鬱蒼とした木立の中に延びる古径に分け入った。その先にあるのは高畑の町。かつては春日大社禰宜たちが多く暮らしていたという土地だ。毎日、禰宜たちはこの道を抜けて春日大社へと通った故「禰宜道」というらしい。「禰宜道」はこの春日の杜に幾本もあるらしく、その中でも特に山より(春日山より)にある、この若宮前の道を「奥の禰宜道」と呼ばれている。

奈良公園 ささやきのこみち 奈良公園 ささやきのこみち posted by (C)ジゼル1043

もっとも、そのひそやかな佇まいを心当てに恋人たちが睦言を交わすことも多く「ささやきの小道」なんて言われたりする。ほんの400m程の道だが、歩いていると世俗から全く隔絶されたような気分になる。そしてその先に控えているのは、それはそれは静かな高畑の町だ。本来なら、そこを左の折れて春日山高円山の山あいを流れる能登川沿いの道・・・滝坂の道(柳生街道)へと向かうべきなのだが、この高畑の地にはかつて近代文学史上に名をはせた文豪の旧宅がある。そこに敬意を払わないわけにはいかない。その文豪とは「小説の神様」・・・そう志賀直哉である。

2011年11月2日 志賀直哉旧居 裏庭より 2011年11月2日 志賀直哉旧居 裏庭より posted by (C)備忘録 旅人

志賀直哉邸は、昭和初期に志賀直哉自身で設計したもので、一見数寄屋風なのだが、部分部部分に洋風の様式も取り入れた・・・昭和の初期にしてはまことに進歩的な合理的な工夫がこらされている。

志賀直哉は大正14年(1925)、それまで住んでいた 京都 山科から、奈良は幸町にその住みどころを移した。初めの4年は借家住まいだった彼だが、高畑の地に住居の地を求め、自ら設計の筆を執った。友人であった画家の浜田葆光に紹介を受けた直哉は京都の数寄屋大工下島松之助に、その住処のの建築を依頼した。この上高畑の邸宅は奈良公園に隣接し、御蓋山春日山若草山高円山などを臨む自然の風景に恵まれた静寂の地だ。直哉は、その自然美と静寂に心をひかれたのだろう。加えて、志賀直哉がこの地で暮らした13年間は、多くの文化人たちと芸術を論じ、時には遊びに興じて、友人・知人たちとの心の交流を大切にした日々であった。そして、家族とともに平和な毎日であったらしい。

兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互いに溶けあってゐる点は他に比を見ないと云って差支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名畫の殘欠が美しいやうに美しい。御蓋山の紅葉は霜の降りやうで毎年同じやうには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。5月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も奈良を憶う種となるだろう

直哉は随筆「奈良」(志賀直哉全集7巻)の最後にこのように書いている。その充実した毎日が、直哉の執筆活動には力になったのだろうか・・・昭和12年には長編小説「暗夜行路」をこの地にて完成させる。

幾ばくかの入館料を支払い、中に入る。いわゆる豪邸という風情ではないがこじんまりとまとまった落ち着いた建物がまずある。中庭を少々歪んだコの字型に建物が囲んでいる。南に面したサンルーム、そしてそれに連なる食堂・・・今の私たちが見てもまことにハイカラな作りがなされている・・・というのが正直な印象だ。

2011年11月2日 志賀直哉旧居 一階サンルーム 2011年11月2日 志賀直哉旧居 一階サンルーム posted by (C)備忘録 旅人

2011年11月2日 志賀直哉旧居 一階食堂 2011年11月2日 志賀直哉旧居 一階食堂 posted by (C)備忘録 旅人

けれども、何よりも私の目を引いたのは、彼の居間の位置取りだ。詳しくは上に紹介したこの施設のホームページ内の「邸内ご案内」を参照していただきたいのだが、その東の隣り合うのは子供の寝室、直哉の今とは襖で仕切られているのみだ。そして、南に子どもの勉強部屋兼遊び部屋。出来るだけ子供の傍にいたいとの表れであろうか・・・

奈良にいたころのこの文豪の姿が髣髴できそうな・・・そんな気がした。

※今回の記事で使用した写真は、すべてその下に表記してあるように写真共有サイト「フォト蔵」さんよりお借りしました。