大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

田原の里へ・・・滝坂の道(下)

いよいよ滝坂の道は後半に差し掛かる。正確な定義は知らないが、ここから地獄谷を越えて石切峠を越えるあたりまでが滝坂の道と考えて大過はないかと思う。朝日観音から200m程能登川をさかのぼると道は二手に分かれる。その分かれたところに、旅人を優しく迎えてくれる地蔵様がいらっしゃる。 柳生街道10首切地蔵 柳生街道10首切地蔵 posted by (C)ろごきっと 写真で見ると分かるように、首のところで裁断された跡がある。これがこのお地蔵様の命名の由来で・・・そう、お察しの通り、このお地蔵様のお名前は首切り地蔵という。何やら物騒なお名前であるが、曾我兄弟の仇討ち赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの1つ、鍵屋の辻の決闘で知られる荒木又右衛門が刀の試し切りをしたということでその名がついている。まあ、伝説とはいえ、このような話が残っているぐらいだから、かの剣豪の腕っぷしの強さは尋常ならざるものがあったことは疑いもない・・・かな?

ただ、伝説にはその続きがあって、又右衛門はお地蔵様の首を見事に断ち切ることには成功したが、その代償も大きかったようだ。試し切りというからには、その切れ味を試してみたくなるような名刀が手に入ったに違いない(きっと大枚をはたいて手に入れたに違いない)。その名刀は試し切りの後鍔の所から一寸残してポッキリと折れていた・・・・・・・どうやら、この剣豪・・・あまり後先を考えるような御仁ではなかったように思う。まあ、出なければあれだけ多くの人数を相手にして決闘を挑むような無茶はしなかったと思う。

さて、二手に分かれた道の右側を私たちは選び、私たちは更に山中に分け入ってゆく・・・突然、自動車も通行できるようなよく整備された道に出くわす。春日奥山ドライブウェイである。この道をそのまま左に進んで行けば若草山の山頂に突き当たり、そこには絶景が開けているはずであるが、今日はそれが目的ではない。私たちはそのまま整備された道をまたぎ、再びつづら折りの悪路に挑む。

ここからしばらくは地獄谷と読まれている辺りである。なんとも恐ろしげな地名であるが、その由緒の程はよく知らない。ただ、子供の頃に、あまりあてにはなりそうもないおじさんが語って聞かせてくれた話によると・・・

それはそれは昔のこと、大和の地に未曾有の飢饉があり、その際に多くの死人がこの地に運ばれたらしい。あまりにその数が多くいちいち埋葬することが出来ずに野ざらしにしてあったそうな・・・そして、そこには多くの烏が集まり・・・さながら地獄の光景に見えたことから、その名がついたのだそうな。今でもお盆になるとこの辺りには数多の鬼火がちらつくのだという・・・

だいぶ眉に唾をつけて聞いてはいたのだが、今のところこの地の名のいわれについてはこの話以外に聞いたことはない。

道はいよいよ石切峠にさしかかり、次第に呼吸も荒くなってくる。空腹の度合いもそろそろ頂点である・・・と、峠の先に、それはそれは古風な建物が一つ見えてくる。 柳生街道13峠茶屋 柳生街道13峠茶屋 posted by (C)ろごきっと 峠の茶屋である。雨が蕭々と降り続けている以上野面にシートを広げてお弁当というわけにはいかない。そこで我が研究会の代表者が、店先に並べられたおまんじゅうをいくつか購入することを条件に、お店の縁側やら、軒下の縁台やらを貸していただいて、昼食を摂ることになった。

他にもうどんやら親子丼なんてメニューもあったような気がするが、なにせこちらはお弁当持ちである。それらメニューを注文するわけにはいかない。かといって、何も買わずに店先を使わせてもらうわけにもいかない。我々は一人一つずつ、食後のデザートという趣向で店先に並べられた甘いものを購入し、昼食を始めた。そんな私たちにお茶まで出してくださった茶屋の方には今でも感謝の念を抱いている。

食後、建物の内側も見学させていただいたが、創業200年近いこの茶屋には、かつて柳生街道を往来した武芸者が酒代がわりに置いていったという槍や鉄砲が、鴨居に立てかけてある。どこだったかの流派の極意書(たしか神道無念流?)や鉄扇なども、奥には伝えられているそうだ。

下の写真はそんな食事の折のものだが、先日別の用事で昔の写真を見ていたら偶然見つかったものだ。上の述べた縁側や縁台の様子がよく分かるんじゃないかと思ってここにお示しした。なお、人物の顔については個人情報ゆえ「❤」を付けさせていただいた。

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もう、30年以上も前の写真だ。どうせ今の様子とは大きく違っているだろうから、そんな面倒くさいことをしなくってもいいじゃないかとも思ったが、もし万が一、この中に20代の若さを保っている方があったら申し訳ない・・・

一人だけ、顔が隠れていないのがいるって・・・・?

・・・・・30数年前の私である。少々見苦しいとは思うがご容赦願いたい。