大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

高鴨神社に行く

10月の上旬、私は大和盆地南端の五條市に行く機会があった。無論、公用の旅なのであるが、普段はなかなか足を向けることのない場所、これ幸いと家を早めに発ち、かねてから訪れたいと願っていた高鴨神社を訪れた。

高鴨神社は奈良県御所市鴨神1110、もうほとんど五條市と言ってもいいぐらいの葛城古道の南端にある。葛城古道については以前一度書いたことがあるのだが、その時は私得意の架空徒歩旅行。足も運ばず、手元の資料やネットで得た知識、そして地図とにらめっこをしながらの、全くの架空の旅であった。そして・・・その架空徒歩旅行の記事を書いたときから私は一度この地に・・・そして、この地の古い神社や古寺を訪ねねばならぬ・・・そんなふうに感じていた。

そのうちの一つが先日訪れた九品寺であり・・・3年前に訪れた一言主神社であり、去年訪れた高天彦神社であった。そして・・・そんな葛城古道にあって、私が最も訪れたかったのが、この高鴨神社であった。

高鴨神社は、延喜式神名帳には高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭に際しては官幣に預かった名神大社で、最高の社格をもつ神社であった。清和天皇貞観元年(859)正月には、大神神社や大和大国魂(くにたま)神社(大和(おおやまと)神社)とならんで従二位の神階にあった本社の祭神は、他の二社とともに従一位に叙せられるほどの由緒をもつ古社である。

この神社のホームページの由緒書きによれば

 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一族の神社であります。

とのことで、さらには、

 このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。

とある。三輪山山麓に発した崇神王朝に先立つ・・・あるいは並行して、この葛城・金剛山麓に、一つの宗教的権威、そしてそれに伴う政治権力が存していたことは、歴史学の世界でもある程度語られてはいることで、人によっては葛城王朝なるものが存していて、それが崇神王朝によって滅ぼされた・・・などと考える向きもなくはない。高天原から天下った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の母が上述の高天彦(たかあまひこ)神社の主祭神高御産巣日神(たかみむすびのみこと)の母であること、また日本書紀の記載によれば神武以降3代の天皇の妻に、この地域で古くから信仰されていた事代主(ことしろぬし)神の娘が嫁いでいること(事代主神古事記等を見れば出雲系の神ということになっているが、その信仰の在り様からもともとは葛城の田の神としての性格が強いという)も興味深い話である・・・なんて言う難しい話はここまで。これ以上深入りすると何を語りだすかわからない。

ということで本題に入る。

その日、私は公務の出張の途中、ちょいと道をそれてこの古社の駐車場に車を止めた。入り口の鳥居は目の前にあるのだが、おそらくは次の日以降にあるだろう先の祭礼の準備のため鳥居の周辺は大いににぎわっている。そんな中に私のようなものが入って行ったりすれば、どんな目で見られるかわかっているから、この日は鳥居から境内に入ることをあきらめ駐車場横の入り口から参道に入る。

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駐車場から参道に入る古径に足を踏み入れると、ご覧のような池が広がる。静かな池面には対岸の景色がきれいに写りこんでいた。見事としか言いようのないほどの静寂がそこにはあった。

参道はそれほど長くはない。ちょいと後ろを振り返って、祭礼の準備でにぎわう鳥居から拝殿のある石組まではざっと20mと言ったところか・・・

ほどなく高く組み上げられた立派な石組みの麓にたどり着く。

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以前、このお社について書いた(上のリンク先「葛城古道」を参照)ときには、なにぶん実物を見もせずに人様のブログの写真で書いたものだから3m程と書いたが、明らかに誤りであった。少なくとも5m・・・ひょっとしたら6mはあるかもしれない。重厚な、がっしりとした石組だ。

石段を登り、上にたどり着くと拝殿が見える。

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石組の下にいる時から、何やら重々しい声が聞こえていて、これはなんだろうと思っていたが、登って拝殿の中をのぞき見るに、その声の主は明らかになった。写真中央の人物だ。おそらくはこの古社の宮司。長年の宮司としての務めの中で鍛え上げられた喉は見事としか言いようがない。重々しく、そして荘重な祝詞の調べは、今を生きる私の精神をいとも容易に太古の世界へと引きずり込んだ。私には見えない・・・高鴨阿治須岐詫彦根命の御姿が宮司の幻視する目にはきっと見えているのだろう、としか思えない・・・そんなふうに思えてならなかった。

高鴨阿治須岐詫彦根命は大国主神の子。別名は迦毛大御神で、古事記において天照大御神とならんで「大御神」の称号で呼ばれる数少ない神の一柱だ。全国に広がる「カモ」と名付けられた全ての源がここにある。あの京都の「上賀茂神社」「下鴨神社」も事情は変わらない。この神は上記のように大国主神の子で、出雲神話に登場しているから出雲系の神のように思われがちであるが歴然とした大和の神である。この辺り上述の事代主も同様の事情を持つが、そういえば大国主神だって三輪山大物主神と同一視されている。大物主神は大和の国つ神であって出雲のそれではない。

このあたりの出雲系と大和の神々の交流の・・・もっと正確に言えば混同は私にはどうにもわからない。単なる信仰上の混同なのか、それともかつてあったなんらかの歴史的な事実の反映なのか・・・考えれば興味が尽きない。けれども、私のような不見識なものがそんなところに深入りすればとんだ大恥をかくこと必定である・・・くわばらくわばら・・・

ということで、私は宮司の荘重な祝詞の声を邪魔しないように、静かに柏手を打ち恭しく礼をして拝殿を後にした。

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