大和逍遥   

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法隆寺に行く・・・3

塔は、かつて寺院が貴人達の独占物であったとき、信仰深い庶民達がその伽藍の外からでも祈りがささげられるようにと作られたものである、と言う話を聞いたことがある。これが事実かどうかは知らないが、ここ法隆寺の塔もそれがそそり立っている西院伽藍の外からもその美しい姿を見せている。しかし、やはりその美しさを味わおうとするならば廻廊に区切られたその内側に入らねばならないだろう。

木造の塔としては世界で最も古いこの塔は残念ながら、その創建時の推古天皇の17年(607)にまで溯ることは出来ない。かつての一時期この法隆寺の諸々の建造物が、創建当時のものか、後に再建されたものかの論争があった。2004年、奈良文化財研究所が行ったこの寺院の建造物の構成する材木の年輪年代測定によれば、ここで用いられている材木は650年~690年に伐採された檜、杉であることが分かってきた。となれば、やはりこの寺が7世紀後半の再建されたとかんがえなければならなくなる。

ただ、それでも幾分かの問題は残る。日本書紀によればこの法隆寺が落雷のため創建当時の姿を失ったのは天智天皇の9年(670)ということになっているが、金堂の一部にその670年を溯る時期に伐採されたと推定できる木材があることである。このことについてあれこれと論議されているらしいが、残念ながらこれを云々するだけの知識を私は持ち合わせてはいない。

では、すでにこの寺は聖徳太子の創建時の名残を一切残してはいないのか・・・

いや、決してそうではない。そのひとつとしてこの五重塔の心柱の用材が591年のものであることが、これまた年輪年代測定によって明らかになってきた。なぜ、この新柱だけがほかの用材に比べ圧倒的に古いのか、これもまた問題は残る。けれども、そんな問題の解明は専門的な研究にゆだねておこう。私たちはただ1400年を越える歳月にわたって、この美しい巨大な造形物を支え抜いてきたこの一本の材木に敬意をはらえば・・・それでいい・・・それだけでも充分に人々の崇拝に価する。

ところでこの塔はその優美な姿だけにその値打ちがあるのではない。その内陣におさめられている造形物も充分に鑑賞・・・いや、崇拝に価する。

塔本四面具と呼ばれる、粘土による造形は東に文殊菩薩維摩居士の問答(維摩経の一場面)、北に釈迦涅槃、西に分舎利(釈迦の遺骨の分配)と仏教の発展期における名場面、そして南が弥勒浄土・・・古代人の理想郷をあらわしている。中でも、北にある釈迦涅槃を示した塑像の釈迦の死を嘆き悲しむ弟子立ちの哀切に満ちた表情は、1300年をの歳月を越え、今を生きる我々の胸を打つ。

塔からやや離れ、見上げてみる。

思わず視線は天空に向けられる。空を振り仰いでしまうのだ。そして、そのまま両の手を合わせさえすれば、自然にはるか天空にいます御仏に祈りをささげる姿になる。そして、そうやって天空を仰ぐ私・・・いや私だけではなく、この塔の上空に目を向ける人は誰でも、必然的に敬虔な祈りを空の向かってささげることになる。

ひととき無心になって空を見やった後は、尊い御仏に会わねばならぬ。