大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

法隆寺に行く・・・4

この御仏は、今日のこの日までどれほどの人々の祈りをその楚々としたお姿に受けとめてきたのであろう・・・

五重塔を通じ、天に向かって祈りをささげた後は、金堂のご本尊、釈迦三尊にお逢いしなければならない。聖徳太子の死後、その菩提を弔うために、或いはその御徳を慕う余りに作られた。この時期の日本仏像の特徴である、アーモンド形の眼、アルカイックスマイルを初めとした大陸風のお姿は、後の日本仏像と大きく趣を異にしている。かつてこのブログで紹介した飛鳥寺の釈迦如来座像とよく似たお顔立ちである。ここでその尊いお姿を皆さんにお見せしたいのは山々であるが、なにせ堂内は撮影禁止。禁を犯してまで御仏にカメラを向ける勇気は私にはない。これはいかの全ての御仏についても事情は変わらない。

ところで、ここ金堂はこの釈迦三尊がいらっしゃるだけではない。この金堂のみごとな威風の堂宇の中には他に薬師如来座像がいらっしゃる。太子が父用明天皇のために作ったと言われているこの御仏は幾つかの理由で時代はもう少し下り、七世紀後半のものとされているが、それでもその美しさはその価値を毫ほども目減りするものではない。また間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代のもの)、それを守護するように造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼を払うかの如く静かに立っている。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)も見過ごすことは出来ないであろう。

それらの御仏の頭上には、天人と鳳凰が飛び交う天蓋が吊されており、西域の香りがそこに漂っている。

またこの建造物の壁面は余りに有名で、あえてここで云々するほどのことはないが、一言もふれぬ訳には行かぬ。現在我々が見るこの壁画はご存じの通り複製である。古く明治の初期からその文化財としての価値を高く評価されてきたこの金堂の壁画は昭和二十四年(1949)に不審火にて内陣の飛天図以外ははかなくも焼失してしまった。

辛くも金堂の全焼は免れ、堂内の焼けこげのみにてことはすんだのだが、この壁画だけは守りきれなかった。ただ・・・幸いにもこの焼失の10年ほど前からこの壁画の模写作業が進められてきており、この複製を通してではあるが我々は白鳳の鮮やかな色彩に眼を遊ばせることが出来る。

建物は七世紀後半の焼失の後に再建されたものではあるが、それでも飛鳥時代の建物。1300年の星霜は充分に越えてきている。そしてこの入母屋造の二重仏堂は、今も尊い御仏のお住まいとして、その清新で優美な飛鳥時代の建築様式を姿をに伝えようと、今も風雨に耐えている・・・・。

次は講堂だ。

それは西院伽藍の北辺・・・にある。