読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

室生寺に行く・・・上

石上神宮の鎮魂祭についてのレポートが長くかかったため、ちょいと遅すぎる記事になってしまうが、実は鎮魂祭の翌々日、11月24日に私は奈良と三重との県境宇陀市室生に所在する古寺を訪れていた。言わずと知れた室生寺である。12月に入った今となっては紅葉の話など季節外れになってしまうが、その日の昼前の一時、紅葉の名所としても名高いこの古刹に私はいた。

IMGP4155

奈良と三重との県境にある室生寺までは、我が家から23km。165号線を車で行けば40分弱の距離である。休日のやや遅い朝食を終えた私は、胃袋がいくらか落ち着くのを待って車に乗った。西へ・・・西へと車を走らせ、30分ほどたった頃、室生川を渡る橋の手前で右に折れ、その川を遡る。そこから室生寺までは10分ほどだ。川沿いの門前町が見えてくる。室生川右岸の斜面に張り付くように室生寺はあるが、門前町はその左岸に細く長く続く。門前町室生寺はたった一本の太鼓橋によってつながれているが、私はその太鼓橋をやや過ぎた駐車場に車をとめ、いくつかの土産物屋や食堂、宿屋を前を過ぎてその橋の前にたどり着いた。

IMGP4154

橋を渡ってから参道は川沿いに40mほど遡った場所に受付がある。いくばくかの拝観料を支払い、更に川に従って歩いて行くと仁王門が見えてくる。

IMGP4169

怖い怖い顔をした仁王様がこちらを睨み据えている。ここから先の御仏が鎮座なさる聖なる地に足を踏み入れるに相応しい者かどうかを見定めるかのように・・・勇気を出してこの怖い顔のお二人の間を通り過ぎ、10mも歩けば左手に長い長い石段が見えてくる。鎧坂だ・・・

IMGP4171

この上に金堂はある・・・

天武天皇の9年(680)、役小角役行者)の草創し、弘法大師が中興したという伝承もあるが、記録で確認できるのは、奈良時代最末期の草創という事実のみである。

この古刹の東方約1kmのところに室生竜穴神社があるが、室生寺の草創はこの竜神が関係していると考えらている。『続日本紀』によれば、山部親王(後の桓武天皇)が宝亀8年から9年にかけて長く患らったという。その平癒を願って浄行僧が五人を招かれ、この竜穴のある室生山中で「延寿法」を行ったところ、たちまちにして病は平癒し、その後に光仁天皇興福寺大僧都賢璟に命じて山寺を創建させたという記事が、室生寺についての現存最古の記録である『宀一山年分度者奏状』」にある(宀一山は室生寺の山号)。

さて・・・石段に足を踏みかけよう・・・