大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

室生寺に行く・・・下

急な石段・・・鎧坂を上り詰めた先に見えてくる端正な寄せ棟造り、柿葺きの建物が金堂である。

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桁行5間、梁間4間の正堂に、梁間1間の礼堂がとして付いている。このお堂は段差のある地盤に建っており、礼堂の部分は斜面に張り出し、床下の長い柱で支えられている。、山岳寺院によく見られる「懸造(かけづくり)」と言う様式なのだそうだ。まあ、このあたりはたぶんNoriさんのご専門の範疇内、私のごとき者がくだくだしく述べることは現に慎まなければならないが、そんなこととをいっていたらなかなか記事が書けない。いい加減な部分があればNoriさんに訂正していただくとして、以下を続けよう。

正堂部分は平安時代前期(9世紀後半)のもの。鎌倉時代末期に大修理の際にかなり多くの部材が取り替えられたという。孫庇となっている礼堂は寛文12年(1672)に全面的に建て替えられた。いつもなら公開されていない金堂内部であるが、今日は折良く特別公開。早速堂内に入る。

堂内須弥壇上には中央に本尊釈迦如来立像、向かって左に文殊菩薩立像、右に薬師如来立像がお立ちになっており、更にその左には十一面観音立像、そして一番右手に地蔵菩薩立像の5体が横一列に並んでいる。そのどれもが国宝か重要文化財。まさに眼福の極みである。

更に私の楽しみは、その前に立つ十二神将立像。私のお気に入りは未神・・・土門拳の写真でも有名な、ちょいと愛嬌のあるおかただ。正式なお名前は頞儞羅(あにら)大将。私は早速その御姿を探す。ところが目の前に立っているのは10体のみ、未神と辰神がいらっしゃらない。

聞いてみれば、このお二方は奈良国立博物館に長のご出張中とか・・・先日(7月4日~8月24日)、仙台市博物館で催された「東日本震災復興祈念奈良・国宝室生寺の仏たち」という特別展において全ての神将全てがお揃いになったと聞くが、普段はこのお二方がいらっしゃらないというのが常態なのであるそうな・・・ちょいと・・・いやかなり残念な気分である。

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金堂の傍らに、金堂よりもやや小ぶりなお堂がある。弥勒堂である。これまた杮葺きではあるが、本堂のそれとは違ってこちらは入母屋造。鎌倉時代前期の建築で、本堂よりはやや小ぶり。江戸時代に大幅に改築があったそうな。堂の中央の厨子には、このお堂のご本尊の弥勒菩薩立像が静かにお立ちになっている。向かって右に鎮座なさっている釈迦如来坐像は国宝。この平安前期彫刻の白眉として知られている御仏の御姿はどっしりと安定し、その静かに瞑想しておられるかのような御顔には何とも言えぬ慈愛が充ち満ちている。

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さて、この二つのお堂の間から更に上に延びる石段を登った先にあるのが本堂である。入母屋造で、こちらは檜皮葺き。大きさは金堂のそれとほぼ同じであろうか。この堂は、室生寺密教化していた鎌倉期、灌頂という密教儀式がおこなわれていたため、灌頂堂とも呼ばれていた。内陣中央の厨子には如意輪観音坐像が実にくつろいだ緩やかな御姿でお座りになっていらっしゃる・・・

・・・と思ったのは私の無恥ゆえの感想で、その場にいらっしゃったお坊さんの話に依れば、如意輪観音のその右足は左の足の裏をまっすぐに踏んでおられ、これはすぐにでも立ち上がり罪深き衆生をお救いに出かけるための御姿なのだそうだ。「くつろいだ緩やかな」などとはとんでもないことで、この御仏は常に臨戦態勢でいらっしゃるのだ。

表面上の御姿からは窺い知れぬ御仏の御思いに打たれた私は更にその背後に聳え立つ五重塔を見上げるべく、本堂の左背後に延びる石段を更に上に向かう。

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美しい・・・実に美しい塔が樹齢幾百年かを知らぬ杉の木立の中に立っている。この美しい塔は800年頃の建立で、屋外にある木造五重塔としては、法隆寺五重塔についで2番目に古いものだそうである。また国宝やら重要文化財やらに指定された木造の五重塔で屋外にあるものとしてはもっとも小さなものでもあるそうだ。見るべきはその塔の最上部。他の日本の仏塔においては、最上部の九輪の上に「水煙」付くが、この塔では水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものになっている。更にその上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っており、実に珍しい形式になっている。。寺の伝えによれば、創建にかかわった僧侶修円が室生の竜神をこの宝瓶に封じ込めたとされているらしい。

無論この塔も他の寺の古い仏塔と同じように幾度もの解体修理を経て今我々の目の前にあるのだろうが、その中でも我々大和に住む者にとって、すぐに思い起こされるのは、1998年9月22日、台風7号の通過の際の損壊にともなう大修理である。この年の台風7号は強風により、大和のあちらこちらに多大なる被害を及ぼした。所によっては高圧鉄塔がなぎ倒されたりもしたほどのその強風に、この塔の側に聳え立っていたの杉(高さ約50メートル)が倒れ、屋根を直撃し、西北側の全ての屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けたのである。

が、心柱を含めた塔の根幹部は損傷せずに済んだため、その翌年より次の年にかけて復旧工事が行われ今見る姿に見事に復旧された。下の写真が、その倒れた杉の切り株である。

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どれほど巨大な物体がこの瀟洒な・・・美しい塔の上に倒れかかったか、容易に想像できるであろう。

実は私はこの復旧工事が行われていた最中に室生寺を訪れたことがあるのだが、その時あることにひどく感心したことがある。件の太鼓橋を渡り、右に折れて受付に向かう途中、この寺のお守りやら何やらを販売する小さな売店があるのだが、よく神社なので販売している絵馬ほどの大きさの杉板が大々的に販売されていた。傍らの説明書きを見るに、この五重塔に倒れかかり、無残な姿に変えてしまった杉の倒木を板状に裁断したものだという。値は確か900円(この辺はちょいと定かではない。)。10数㎝四方、厚さ1㎝ほどの板きれにしてはあまりの高額ではあるが、何でもその収益を塔の復旧の浄財にするのだという。

こうまでいわれては買わないわけにはいかない・・・とは思ったが、何となく買いそびれてしまったこと、今になってちょいと後悔している・・・が、そんな営みもあってこの塔は往古の姿をわずか1年で取り戻したのである。なんともまあ、たくましいことではないか・・・

もう一つ、私にはこの塔に思い出がある。高校時代の頃、当時はまだ現代国語(今は現代文というらしい)という科目があった。その教科書の扉にあった写真にこの寺の五重塔があったのである。石段の両脇には石楠花の花が咲き誇り、その石段の先に可憐な塔が聳えていた。確か入江泰吉のものだったかと記憶する。その頃から大和にひそやかなあこがれを抱いていた高校生の胸に強く焼き付いた情景であった。

さて・・・本来ならばこの奥にある奥の院まで足を運ぶのが本筋であろうが、時刻はすでに昼に近い。休日とて朝の6時過ぎる頃には朝食を済ましている私であるから、そろそろ腹の虫が騒ぎ出している。奥の院まで足を運ぶのはまた今度この寺を訪れたときのこととして、今日はここで帰ることにした。

ここまで来る途中とは打って変わって、逆光に透かされた紅葉がとても美しかった。

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赤、黄、茶・・・様々な色合いの紅葉の下を歩いているとどこからか悲しげな尺八の調べが聞こえてくる。一体どこからだろう?・・・と思いつつ、仁王門の所まで出てみると、一人の虚無僧が立っていた。

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これまでドラマでは何度も見たことはあるが、実物を見るのは初めてだ。思わずシャッターを押してしまった。