大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

濁れる酒を・・・

験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし

万葉集巻三・338

大伴旅人の一首である。夕食の際には、常には清酒を燗もつけずに飲んでいる私だが、こう寒い日が続くとそうはいかない。熱燗とはいわないまでも、人肌よりもやや熱めの燗でお気に入りの備前のぐい飲みをあおっている。けれども、今日の最後の一杯は違う。折からの寒さのため室温でかなり冷たくなっているやつを湯飲み茶碗半分ほどちびちびなめている。

というのも、こいつだけは燗をしてはどうにもならないからだ。 銘柄は「鬼好み 原酒 おり酒」の。我が家から徒歩で5分ほどの場所にある今西酒造という蔵の酒だ。その名の通り濁り酒である。濁り酒だけはどうしても常温、あるいは冷たくひやしたものでないとどうにもならない。しかもこの酒は活性のため、発酵が瓶詰めされた後も続いており、やや発泡している。その泡の刺激を失わないためにも温めることは厳禁である。米の旨味が充分に生かされた実に濃醇な味わいである。なんでも上槽後のおり部分をそのまま瓶詰めに下ものであるという。やや甘口ではあるが、ほのかに下に感じる炭酸ガスゆえか少しもべたついた感じはしない。逸品と言って良いであろう。

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この濁り酒というものを飲んだのはかなり久しぶりだ。嫌いなわけではないが、夕食の友として清酒を嗜む私にとって、濁り酒はどんな料理と合わせるべきか見当がつかないからだ。無論合わない料理がないわけではない。けれども、この種の酒にあう料理は極めて少ないように私には感じられる。かといって濁り酒にあう料理ばかりを毎日続けるわけにはいかない。いきおい一本開けたはいいが、次にこの酒にあう料理までかなりの日数がたってしまう・・・てなことになってしまう。それでも若い頃ならば、1日の酒量も多く、そんな機会が3日もあれば飲みきってしまったものだが、最近はどうもいけない。私自身の酒量も若い頃のそれではないし、妻の監視の目も私の加齢とともに厳しいものになってきているからだ。

というわけで、かなり長い間濁り酒は飲まないできたのだが、数日前ご近所様からこれを頂いたからには飲まないわけにはいかない。人様のご厚意を無にするような薄情さは私は持ち合わせてはいない(笑)。

・・・と、ここまで書いて、私が初めてこの濁り酒という代物に出会った頃のことを思い出した。これもまた、私のブログには幾度かご登場いただいている学生時代の我が師にまつわる思い出である。今回はH先生という名でご登場願おう。

私が大学に入り、そして万葉集輪講会にも入って何回目かのことである。今週の土曜日(そうこの頃土曜日はまだ休日ではなかった)の昼からY先輩の下宿にて新歓のコンパを開くゆえ、特に新入生は必ず参加すること・・・との旨が告げられた。そして土曜日。三々五々Y先輩の下宿に輪講会のメンバーが集まってきた。私がこのような場に赴かないことはまずはあり得ない。Y先輩の下宿は、下宿とはいいながら我が母校の母体となる宗教団体の職員住宅のようなところで、結構な広さがあり、20名は越えていたであろう輪講会のメンバー全員が座っても挿して窮屈さを感じない。そしてもちろんその輪の中心はH先生であった。

先輩方のすすめで私の前のグラスにビールが注がれる。例のペンギンさんの絵柄の入った2リットルの樽状の容器からである(妙なものがはやっていたものである)。この頃はまだこのペンギンさんの絵柄で知られた酒造会社の社長の東北熊襲発言の前のこととて、私はこのビールをありがたく頂きながら、目の前の紙製の皿に盛られたピーナッツやらハッピーターンやらさきいかをつまんでいた。(この際、大学に入りたてのものがなぜ酒を飲んでいるのかなどと目くじらは立てないでいただきたい。そんな時代だったのだ。)

そんなビールの酔いで少々気持ちがよくなってきた頃である。H先生からの差し入れのそれが饗され始めた。

銘柄は「瀧自慢 純米」。名張は赤目の蔵本瀧自慢酒造の逸品である。一升瓶を手にした先輩が私の前に座り、新たなグラスを用意して、その瓶から芳醇な米のしたたりを注いでくれた。学生のコンパ・・・しかも新歓コンパともなれば、ここで一気飲みを無理強い知るのが通例であろうが、この先輩はそんなことはおっしゃらない。ただ、「まあ飲め。」というだけであった。そして、「もったいないから一気にのむな。」とおっしゃったように記憶している。無論、これまたせっかくのご厚意を無にすることは出来ない。私は静かにグラスを傾け、この赤目の銘酒を口に含んだ。

清酒とはこんなにうまいものだったのか・・・

本当ならば、ここでその時のあじの印象をNoriさん只野乙山さんのブログのウイスキー評のように、事細かく語るべきなのであろうが私にはそんな筆はない。第一、もう30年以上も前の事を故、その記憶を遡ることは不可能である。

それでもあえて、30年以上も前のそれを語るとすれば・・・ほんのりと米の甘みは感じられるが決してくどくはなく、しかもその甘みはさらりとしたから消える。後に残るのはさわやかな香りのみである。これまで母親の目を盗んでは少しずつ口にしていた大手メーカーのそれとは全く違う代物であった・・・とでもなろうか。とにかくうまかった。

そして、コップに注がれた瀧自慢純米をうまそうに飲んでいる私を見て、こいつならいけるだろうとでも思ったのだろうか、その先輩は一度席を離れると、さっきとは違う一升瓶を持って私の前に再び座った。そして、その瓶には今まで私が見たことのないような白濁した液体が満ちていた。その液体の上部の濁りはやや薄く、下に行けば行くほどその濁りは濃くなり、瓶の下3分の1ほどはどろりとしているように見えた。先輩はその瓶を上下に数度静かに振った。先ほどまで不均等であったその濁りはあっという間に均等なものになり、少々粒の混じった牛乳のようにも見えた(粒の混じった牛乳とは・・・ちょいと怖いよね)。

どくりどくり・・・やや粘性のある白濁した液体が私の前のグラスに注がれた。「どくりどくり」という語感に相応しい液体であった。そして私はそのどろりとした液体をゆっくりと口に含んだ。先ほどの純米よりはかなり甘みが強く、酸味もまた強く感じられた。。けれども、その甘みも酸味も決して際立つことはなく、程よいバランスを保ちながら私を陶然とさせた。

それから何度、この濁れる酒を口にしただろうか・・・

夏の輪講会の合宿の時、年忘れのコンパの時、そしてその年、定年により退官されたH先生と共に出かけた紀州から伊勢にかけての旅行の時・・・。そして、退官された後も、次の職場の任が始まるまでは輪講会に顔を見せて下さっていたH先生は機会があれば、必ず名張は赤目の銘酒の純米酒と濁り酒を差し入れて下さった。その際、H先生が幼少の時代を過ごされた植民地化の台湾の菓子である「すいかのたね(「台湾醤油西瓜子」というのが正しい名らしい)」もいつも一緒に持ってきて下さっていた。スイカの種を乾燥させ、醤油味に焙煎したもので香り付けのためのクチナシの芳香が印象的な食べ物である。食する時は前歯にて種を割り、その中の実を食べるもので、少々面倒くさくはあるが一度食べ出すとなかなか止まらなくなる・・・そんな食べ物である。やや甘みが感じられる瀧自慢の純米や濁り酒には絶好の友であった。

さて、前回H先生に我がブログにご登場いただいたのは7月のことであった。その数日後である。H先生のご子息(とはいっても私よりもずいぶんと年上である)からメールを頂戴した。H先生の訃報である。我が師はこの5月、大往生を遂げられていたとの知らせであった。考えてもみればH先生は私が19になる年に定年での御退官。それからもう35年がたっているわけだから我が師はすでに齢90を優に超えられていたはず。仕方が無い・・・と言えば言えなくもないが、この数十年、H先生にはお目にかかっていない私の中には35年前のH先生の姿しかない。そんな私にとってあまりに早すぎる・・・そんな知らせであった・・・

 

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