大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

ささゆりの酒

1月1日に新年のご挨拶を申し上げてから、長らくのご無沙汰となってしまった。年の初めのこととて、仕事が忙しかったわけではない。むしろ、時間はたっぷりとあった方だがどうにもネタが思い浮かばなかった。書きたい内容は少なからずあるわけだが、いずれも一つの文章に仕上げるためには骨のかかりそうなものばかりで、なかなかキーボードの向かう気にはなれなかったためである。むろん、骨がかかるとは言っても、その作業が文章の質の高さを保障するものではないけれども、自分なりに納得できるまで手をかけなければ人様にお目にかけるのは気が引ける・・・そんな独りよがりな思いのせいである。

とはいえ何時までも更新することなく過ごせば、皆様に忘れ去られてしまうのが必定、そろそろ重い腰を上げねばならぬ・・・と思っていたさなか、そんな私には好都合の情報が・・・

清酒用酵母を新発見  県酒造組合など(奈良新聞WEB)

20141122091429.html

ことの詳細は記事を読んでいただければ分かるのであるし、それ以上の情報を私は持ち合わせてはいないのだから、皆様には上の記事をご紹介すれば事足りるのだが、ネタ不足の昨今、三輪の地に起居し、清酒を常飲する私にとっては渡りに船。いささかの駄文を添えさせていただく。

P1060316

そもそも大神神社はその背後に聳える三輪山をご神体とする。そしてその三輪なる地名にはかつて「味酒」との枕詞が付されていた。

味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや

万葉集巻一・17)

味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき

万葉集巻四・712)

我が衣色取り染めむ味酒三室の山は黄葉しにけり

万葉集巻七・1094)

神に捧げる神酒を「みわ」と言ったことは、鎌倉時代の僧仙覚の著した万葉集註釈に引用されるところの土佐国風土記逸文)に

神河 三輪川と訓む。源は北の山の中より出でて、伊與の國に届る。水淸し。故、大神の為に酒醸むに、此の河の水を用ゐる。故、河の名と為す。

とあるのや平安中期の辞書倭名類聚抄に

日本紀私記に云ふ 神酒 美和(みわ)なり (日本紀私記云 神酒美和)

とあるのや、あるいは万葉集巻十三・3229番歌

斎串立てみわ据ゑ奉る祝部がうずの玉かげ見ればともしも

の「みわ」の部分の原文が「神酒」と表記されていることからもうかがえる。神に捧げられる酒である以上、それは「味酒」でなければならぬ。その神酒(みわ)と地名の三輪が同音であったことから、「味酒」が三輪にかかる枕詞になったと思われるが(一方では「みわ」とは酒を入れ神に供える容器だという説もある)、また日本書紀には、高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)天皇に神酒を献じた時の歌に

この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の ()みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久

崇神天皇八年四月

と歌ったとも記されてもおり、三輪山にいます神、大物主大神も酒造りに関わる神であったことは古代人の常識であったようにも思われ、単に同音ゆえに掛詞的に「味酒」が地名三輪の枕詞になったとは思えない。愚にもつかない私案になるが、おそらくは「みわ」という同音ゆえに「味酒」が地名三輪の枕詞になり、その事実が定着した上で日本書紀の伝承が生じたのではなかろうかと思う。ともあれ、大神神社は古来から酒造の神として信じられてきた。現代に至っても、毎年11月14日にはさけ祭りが行われ、全国の多くの酒造業者の信仰を集めるところである。

IMGP1649.jpg

そんな大神神社の神庭で酒造りには欠くべからざる酵母が発見されるということは、世の左党にとっては見過ごすことの出来ないニュースとも言えよう。加えて、その酵母が発見されたのが、ササユリであると言う事実も少なからぬ必然を感じざるを得ない。というのも、このササユリと大神神社祭神、大物主大神も密接なる関係あるからだ。以下に以前書いた一文を掲げる。

今を遡ること××××年前(そりゃあそうだ・・・実在しなかったであろう人物の話なんだから)、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は大和に入り、即位をすませていた。次になすべきはお世継ぎをつくること・・・ふさわしい女性はすぐに見つかった。大神神社祭神三輪山にいます神、大物主神の娘イスケヨリヒメ。そのイスケヨリヒメの家のあった場所がこの狭井の地であった。 以上は古事記にある神武天皇の成婚のシーンをごく大雑把にまとめあげたものだが、この地をなぜ狭井といったのか・・・古事記の編者太安万侶はちゃんと答えを用意していてくれた。上記の一連の記事の後に割注の形として次のようにある。

其の河の左韋(サヰ)と謂ふ由はその河の辺にやまゆり草多(サワ)にありき。かれ、その山百合草の名を取りて、左韋河とつけき。山百合草の本の名は左韋と云ひき

山百合の事を古くは「サヰ」と言っていた。そして、その「サヰ」がたくさん咲いていたのでその地を「サヰ」といったのだ・・・ということになる。この割注には「山百合」とあるが、大和周辺には「山百合」が自生している例は極めて少なく、この「山百合」とは「ささゆり」のことであろうというのが大方の考えである。

初代、神武天皇のご聖婚の一節であるが、ここで注意したいのが神武天皇の妻となるべきイスケヨリヒメが住んでいた場所にササユリが多く自生していたということである。ここには初代天皇の皇后となられる女性がササユリのような美しく気高い女性であったと表象しようとの意識が働いていたように思う。そしてそのササユリのような女性の父君はかつて高橋活日命の酒造をバックアップした酒造の神の娘であった。

そして今、大物主大神は現代の酒造業者をバックアップするべく、己が娘を表象する高貴な花より我々に貴重な一品を下したもうたのである。この酵母は県内の酒造業者に配布され、速いものではこの4月に販売が開始されるらしい・・・

広告を非表示にする