大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

我が飲酒の記・・・その形態について

前回あんなことを書いたものだから、今回は三友(詩・酒・琴)のうちのどれかをテーマに取り上げてみたいと思う・・・

毎度我がブログにおいでの皆様ならば、すでに周知の事柄ではあるが私には少々左寄りの傾向があり、「左党」に所属している。無論、「左」とはいっても、それは思想的な傾向における「左」とは少々意味合いが違う。かつて・・・江戸時代の鉱夫たちは右手に鎚を持ち、左手の鑿を持って自らの生業に勤しんでいた。右手は「鎚手」、左手は「鑿手」と呼んでいたという(そういえば武士達は左手を「弓手」、右手を「馬手」といっていたなあ・・・)。そしてその「鑿手」と「飲み手」を掛けて、酒飲みのことを「左利き」と呼んでいた。「左党」とはそこから派生した言葉である。「鉱夫」ではなく、大工の話だという説も目にしたこともあるが、まあ・・・ここではどっちでも良いことにしておきたい。ようするに、私は酒飲みだといいたいだけの話だ。

酒飲みといっても志向するところはさまざまで、宴会などで大騒ぎをするのが好きな人もいれば、居酒屋の片隅で店に流れる演歌を聴きながらぶつぶつ呟くのが好きな人もいる・・・と言うような、飲酒形態の傾向でいえば、私は自宅で一人ちびちびと・・・かつだらだらとやるのが一番、性に合っているような気がする。もちろん、「朋あり遠方より来る」という状況に恵まれれば、それに如くはないが、そんなことは滅多にない。また滅多にないからそのような機会が尊いのでもあろう。

宴会で騒ぐのも、居酒屋でぶつぶつ呟くのも私は決して嫌いではないが、それにまして私が「自宅で一人ちびちびと・・・かつだらだらとやる」のが良いのは第一に経済的な理由にもよる。ほぼ欠かすことなく飲酒する私であるから、一回の飲酒にかかる費用は出来るだけ少なくしなければならない。毎日毎日宴会を繰り返したり、毎日居酒屋で呟くようなことは、いくら酒の神様、大神神社の近くに住んでいるからといって、細々と家庭を営んでる私にとって能うことのない所行である。

それに・・・実はこちらの方が重要な理由なのであるが、外ではどうしても自分の好みの酒が飲めないからだ。

・・・なんていうと、いかにも私が酒の味にうるさい男のように聞こえるが、それはあまりあたらない。私は夕食の時に缶ビール一本、清酒一合半を飲み、湯上がりにウイスキー少々を口にするのを日常としているが、その内缶ビールとウイスキーの方は経済を考えたものを飲むようにしている。「缶ビール」とは書いたが、その実は発泡酒で銘柄は「麦とホップ」、一本が自動販売機の缶コーヒーより安い。ウイスキーの方は1000円以内のもの、中でもよく口にしているのは「ブラックニッカクリア」。これは私がよく行っているスーパーだと700円もしない代物である。

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だから、私が「自分の好みの酒」と言った時のそれは日本酒をさしている。最近でこそ、ちょいと気の利いた店のカウンターに座れば、その背後の品書きに国内各所の銘酒の名を見かけることが多くなったが、私が飲酒を始めた頃はそんな店は皆無に等しかったし、仮にあっても大学を出たての薄給の私がその品書きを見たときに足のすくむ思いをするような店しかなかった。いきおい酒屋で自分の手の届く範囲の各地の地酒を、一本一本家に持ち帰り、それを試してみるのが私の飲酒形態の常であった。

そしてそれが、今もなお続いているのだ。一度身についた性癖はなかなか身を離れない。かくして私は夜毎、自宅の食卓を前に座り好みの酒器でこの国の恵みをちびちびと舐めるようになったのである。

※鉱夫・・・いわゆる侮蔑語で、放送禁止用語でもあり出版コードにもひっかかる言葉で、本来ならば「炭鉱労働者」・「鉱山労働者」・「鉱内員」・「鉱員」などと言い換えた方が適切で、私自身の傾向からも出来ればそうしたいところだが、「江戸時代の炭鉱労働者」というのではどうにも雰囲気が出ない。これは他の「鉱山労働者」・「鉱内員」・「鉱員」と言い換えても事情は一緒であり、ここでは泣く泣く「鉱夫」という言葉を使わせて頂く。