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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

我が飲酒の記・・・酒との出逢い1

今日書こうとしていることは、日本国憲法をはじめとしたこの国の諸法律を遵守することをモットーとしている私の生き方の過去における唯一の汚点ゆえ、余り書きたくはないことなのだが、私がどのように酒というものと出逢い、いかにして今に至るのかをお示しすることは、前回から「我が飲酒の記」と題して書き始めた以上避けては通れない道である。

そして、諸法律を遵守することをモットーとする我が生活の汚点ということは、私がかつて法に反する行為があったことを意味するが、それはもう35年から50年も過去のことに属することゆえ、迷宮入りしている事柄ゆえ、ここはちょいと我が違法行為に目をつぶりつつお読みいただければ幸いである。こうやって自分の汚点を皆様にさらすことは決してその行為を是認することを意味しないことは賢明なる読者諸氏においては周知のこととして以下を書き継ぐこととする。

ビール

私が酒というものに出逢ったのは・・・すなわち酒というものを初めて口にしたのは、幼稚園に入るよりも前のことである。4~5歳(私は幼稚園には6歳の時に1年のみ通園しただけである。)の頃だったかと記憶する。ごく当たり前に「酒」というものを飲んでいた私の父は、晩酌の際、よく私を膝に抱いてグラスを傾けていた。今の私は100㎏に及ぼうかという体躯を持っているが、その頃は実に可愛らしいものであったはずだ。

私を膝に抱いた父は、母の作った料理に箸を運び、一口グラスのビールでのどを潤しはまた料理に箸を運んでいた。私は父の機嫌の良い時を狙い、その膝に坐り、父に「泡をちょうだい・・・」とせがんでは、あの白い「泡」を舐めてはそのプチプチとはじける刺激を楽しんでいたのだ。

当時、今のようにジュースというものがふんだんに世に出回っていたわけではない。ましてや発泡する・・・炭酸飲料はサイダーぐらい。コーラやファンタなんてものもあったが、そんな高級なものは私たちの口には滅多に入ることはなかったゆえ、私は常に父の飲むビールの「泡」に強い憧憬の目を持って眺めていた。そして・・・一口でいいから、その「泡」を口にしたいと思って父にせがんでいたんだと思う。

ここに我が父親の保護者としての監督責任はどうなるのか・・・といった問題が生じて来ようが、何もわが父親は自ら進んで、幼児であった私に飲酒を勧めていたのではない。私の「泡」に対する強い憧憬が、そんなことをお構いなしに強く父にせがませたのであろうことを思うと、その責任はすべて私にあったと言わざるを得ない。

そして・・・その感想は・・・残念ながらもう半世紀も前の事ゆえ、記憶にはない。あんな苦いものを4,5歳の子供がうまいと感じるはずもなかったとは思うのだが、父が晩酌をするたびに「泡」をねだっていたというから、まんざらでもなかったのだろうと思う・・・

・・・そして、確か幼稚園に通っていた頃の夏のことだと思う。きっと喉が渇いていたのだろう。普段は、私は父の勧める「泡」をなめる程度であった私は、その喉の渇きに任せて一気にコップの半分ほどを飲み干してしまった。もちろん父親の目を盗んでの事であっただろう。父親が「おや、何時の間にこんなにビールをのんだのかな?」という趣旨の発言を記憶していることがその証左となろう。

程なく私は顔がカーッと熱くなるのを感じた。そして世の中がぐるぐると回るような感覚を覚え始めた。その頃になって周囲にいた大人が私の顔が異様に赤くなっていることに気づき始めた・・・

そう、これが私が「酒」というものに酔った初めての体験であった。私は程なく健やかな眠りについたらしい・・・

つまり、私は幼稚園の時、若干6歳にして「酔いつぶれる」「酔う」ということを生まれて初めて体験した私は、その事をいかに感じたのであろうか?

賢明なる読者諸氏はもうお分かりであろう・・・もし私がその体験を不快と思ったのであるならば・・・「夕食の時に缶ビール一本、清酒一合半を飲み、湯上がりにウイスキー少々を口にする」ことを日常としているわけがあるはずがない・・・