大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

もう歌われない校歌

またあの日が近づいてきた・・・言うまでもない、私の生まれ育った町が昏く冷たい波濤に押し流されたあの日である。

もう4年もたつのか・・・との感慨が胸中を去来する。私は何も出来ずにただブラウン管に映し出される、我が郷里の惨状を食い入るように見つめていた。目を背けたい・・・けれども私の目は、ブラウン管から離れることは出来なかった・・・そんな日が、また今年もやってくる。

聞けば・・・その復興には欠かせぬ住宅の建設に大きな妨げとなっている要因の一つに、その建設のために必要な要員が不足しているということもあること、先日ラジオでとある大学の先生のお話として聞いた。あくまでも多数ある中の「一つ」であり、これを以て全てを語ることが出来ないことは承知しているが、考えてみれば極めて当たり前のことなのだ。あれほど多くの喪失があったのだから、その復興のためには膨大な建設作業が必要となってくる。となれば、そこに大勢の建設要員が必要になってくるのは必然のこと。政府が東北の復興を本気で考えているのならば、この点を考慮し、被災の地に建設要員を集中させる努力を行うのは当然のことだ(当然「資本」も)。

しかしながら、現政権はそんなことには、とんと興味を示してはいないようだ。はては5年後の世界的なスポーツ行事を引き受けてしまっている。これから先、この行事に関わって、「東京」を中心に大規模な建設工事が始まって行くだろう(当然「資本」も注ぎ込まれて行く)。その分、復興に関わる建設要員の手をとられることになる。口では東北の復興を唱えながら、実際にはそれを妨げるように振る舞っている・・・

無論これは「東京」都が引き受けたのであって(傍目には前々都知事の悲願のように見える)、全ての責任がこの国の政府にあるわけではない。しかしながら・・・かつて首相であった方が中心となり、国家的なアピール活動が繰り広げられたのは周知の事実。しかも、文部科学省はこの催しを見て見ぬふりをするわけにはいかぬ。政府は、なんら関わり知らぬこととしらを切ることはできない。

もちろん、このスポーツ行事の誘致についてはこの国の多くの人が関心を持ち、その誘致活動の成功についてはなんら疑問を持つことなく慶事だと讃えていることは私とて知っている。だから、そんな中でこのようなことを言えば何をわがままを言っているのかとおしかりを受けること必定かとも思うのだが、未だ仮設に暮らす多くの人々、生まれ育った町を追い出された福島の人々を最優先にすることなく、いったいなんの「絆」なのか・・・「絆」とはその程度のものなのか・・・

少し感情に走りすぎたようだ。今日書こうと思っていたことはこんな事ではない。実は先日ネット上において以下のような取り組みが目に入ってきた。

東日本大震災により統合・閉校となった学校の校歌収録CD完成!

日本オーケストラ連盟が、東日本大震災被災地で統合や閉校を余儀なくされた宮城県石巻市及びその周辺の小中学校の校歌を収録したCD、「心のランドマーク」が完成させたというのだ。CDは日本オーケストラ連盟に加盟する全国19のオーケストラが演奏し、プロの女声合唱団が歌ったもの。全21曲、2013年11月22日に石巻市役所において、現地の学校関係者に贈呈された。「2013年11月22日」とはいかにも古い情報ではあるが、気がついたのが最近なのであるからこれはいかんともしがたい。かといって、この営みを紹介せずにもおられず、こうやって遅ればせながらも紹介する次第である。

全21曲ということは、しめて21の小中学校が、あの日以降に数年の間にこの世から姿を消したことを意味する。それらの小中学校を卒業した方々の思いやいかばかりか・・・私もその一人であるゆえ、そのご心境は容易に想像できる。

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そう・・・この21曲の中には私が卒業した中学校の校歌も含まれているのだ。東松島市立(私が在籍していた頃は鳴瀬町立)鳴瀬第二中学校とあるのがそれだ。

松風は窓ににおい白き渚鴎光る。 ああ、我らここに集いて瞳清く英知磨かん・・・

今でも容易にそらんじることの出来るこの校歌は、もうあの南に太平洋を望み、三方を美しい松林に囲まれたあの学舎で歌われることはないのだ・・・

あの日校舎は昏く冷たい波濤にその胴体をぶち抜かれ、見るも無惨な姿のなった。そして・・・周囲を取り囲んでいたあの美しい松林も全てなぎ払われてしまった。一帯は復興の計画の中で居住してはいけない区域となった。もう独立した学校としてはやってはいけない・・・そんな状況に追い込まれたのだ。

2013年3月16日・・・派手やかにその閉校式は挙行された。一つの学舎が閉ざされるそんな場面に「派手やか」という言葉は似つかわしくないようにも思うが、偶然見つけることが出来た、とある方のブログこの日の様子が伝えられていた。

以前この三友亭雑記においてご紹介した「エジプトダンス」も舞われていたようで、非常ににぎやかな空気が伝わってくる。もちろん、寂しさがなかったわけではないだろう。けれども、この悲しき節目にかくも賑々しき会を催した我が後輩達に敬意を覚えた次第である。

そして・・・悲しき別れがあれば、新たな出逢いが次の瞬間にあることも世のならい。同年4月、我が鳴瀬第二中学校はとなりにあった鳴瀬第一中学校と合併し鳴瀬未来中学校として新たにスタートした。新しい学校が生まれれば、当然校歌も新しく作られる。

校歌の発表されたのは4月8日の開校式に先立つ2013年1月23日、その日のお登紀さんの言葉で今日の記事を結んでおきたいと思う。

21日朝、ニコルさんと野蒜地区を歩きました。 地盤沈下で、広大な田んぼが海になってしまった地域、約200世帯の家が流され、400人以上の人が亡くなったと聞き、改めてその悲しみの大きさに手を合わせました。ここから未来の歴史を始めるこれからの若者たちに、深い悲しみを踏みしめて、素晴らしい故郷への誇りと、大地に触れる経験を持って、生きて行って欲しい!その思いを歌に託して、校歌を作りました。 初めて聞いてもらった歌なので、一緒に歌うのはまだ無理かな、と思っていたのですが、あっという間に覚えてくれて、一緒に歌えたので、本当にうれしかった!3年生たちはもう卒業してしまうので、この校歌を歌うことはないかもしれないけれど、ここで、聞いてもらえて良かった!震災を中学生として経験したことを大切に、これからを力一杯歩いて欲しいです。 二つの中学校、心を寄せ合っていい中学校にしていってください。

加藤登紀子オフィシャルブログ 「Tokiko Kiss」より