大和逍遥   

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山辺の道・・・平等寺

金屋の石仏に手を合わせ、志貴御県坐(シキノミアガタニイマス)神社で崇神天皇の御代に思いをはせた後(2011/5/3)、道はいよいよ古代のそれらしい趣を示すようになってくる。

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うっそうとした木立の中を静かなせせらぎを見下ろすように山辺の道は大きくうねる。ところどころ歩くものの便利を考えて整備された道をゆっくりと歩いてゆくと、ほんの数分でこじんまりとした山門に出くわす。

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三輪山平等寺だ。

寺の名前からしてすばらしい・・・

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聖徳太子の開基といわれているこの寺は、鎌倉時代の初期に慶円上人(三輪上人)を迎えるに及んで、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂をはじめとし、12坊舎の大伽藍を有し大神神社奥の院として、その全盛を迎えた。

以降、この寺は高徳の上人を中心に、御仏の教えを究めようとする学僧の根本道場としてその栄耀を維持し続けた。醍醐寺興福寺とも深い関係を保ち、80石の朱印地を持ち修験道の霊地としても重要な位置を占め続けてきた。境内に今も不動明王が祀られているのはその名残なのかもしれない。

ところが、長く続いたその栄華は徳川幕府の瓦解の後、間もなく終焉を迎えた。

廃仏毀釈だ。

大神神社の神宮寺であった平等寺は、ことにあおりを強く受け、先日紹介した金屋の石仏、現在同市内にある聖林寺に鎮座する十一面観音をはじめとした61体にのぼる仏像が他所に運び出され、その堂宇のことごとく整理を迫られ平等寺の称号は廃せられた。

幸いにその直後にとある篤志家によって現境内地の寄進を受け、なんとか再興への希望は繋がれたが、その衰勢は隠しようもなく昭和34年の編纂になる「大三輪町史」に、

現在は、その伽藍は存在せず、わずかに塔中の石垣のみが遺跡として存在するとともに、主たる仏像は翠松寺も移されているような現況である

とあるほどである。

しかし・・・寺は見事に復興した。

現住職は就任するや、平等寺再興に向けての全国行脚が開始した。幾10万の喜捨が寄せられ、廃仏毀釈の年から100年目を迎えた昭和52年、平等寺の再興はなった。本堂、鐘楼堂、鎮守堂、翠松閣、釈迦堂(二重塔)と今日にいたるまで徐々に堂宇は整備され、前立本尊十一面観世音菩薩の造立もあいなった・・・

かくして、今、平等寺は我々の眼前にある。

そして、ここまでくれば大神神社は・・・・すぐそこにある。