大和逍遥   

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興福寺、北円堂に行く

久しぶりに興福寺に行った。

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奈良に住んでいるのだし、その近辺には足繁く訪れているわけだから「久しぶり」ってのもなんだが・・・いつもいつも、しげしげとその伽藍群を眺めているわけではない。やはり、仕事の途中は・・・あるいはそれなりの目的物に向かっているときは、これらの堂塔も景物の一つに過ぎない(無論、気になってちらちらと目を運ぶことはあるのだが)。こうやって何かのきっかけがない限り、わざわざそこに足を運び一々の堂塔をじっくり眺めることはない。

ということで、なぜ今回興福寺を訪れたかであるが・・・

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興福寺の重要施設でもある北円堂が先月の25日から特別開扉されていて(5月10日まで)、普段は拝することのあたわぬ尊い御仏に会えるからだ。北円堂は養老4年(720)に世を去った藤原不比等の一周忌に際し(と言うことは721年)、元明上皇元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。ご承知の通り興福寺の大方の伽藍は治承4年(1180)、源平合戦の最中に行われた平重衡による南都焼討によって大半の伽藍が焼失し、現在、我々が見ることの出来る北円堂は承元2年(1208)頃の再建のもの。しかしながら、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物ではあることには違いない。形態は法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の八角円堂で、内陣には運慶晩年の作である弥勒如来坐像を中心にして、四天王立像、無著・世親菩薩像が鎮座している。無著・世親両菩薩は兄弟で、5世紀頃のインドで活動した唯識教学の祖である。興福寺が属する法相宗では非常に尊重されているお二人である。像は玉眼作りで、一見涙に潤んだような悲哀を湛えており、愚かなる存在である我々衆生を想う慈愛というものがひしひしと伝わってくるように思えた。

ところで現在、北円堂の周囲は写真のように実にさばさばとした風景になっているが、かつては奈良公園の他の場所がそうであるように木立に囲まれた、それなりに落ち着いた雰囲気の漂う立地にあった。けれども中金堂の工事のためかそれらの木々はなぎ払われ、今はかくも風情のない・・・どちらかと言えばすさんだ一画にぽつねんとこの八角形の御堂は位置することになってしまった。しかしながら、いざその中に入ってみれば、弥勒如来を中心としたその空間は、ただごとならぬ静謐を湛えていた。ごった返すと言うほどではないが、拝観者の数がそんなに少ないわけではない。空間の広さから言えば、どちらかと言えば混雑していたと言った方がふさわしいだけの人間がそこにはいた。なのに・・・この静謐はどうしたものだろう・・・

ここで私は神社と寺院の違いというものに思いを馳せてしまっていた。おおよそそれなりの由緒を誇る神社は、そこに相応の気が漂うからこそ、その地が対象となったのであろう。大神神社や、この前訪ねた春日大社などはまさにそれだ。三輪山御蓋山が放出する霊的なエネルギーといったものがひしひしと感じられる。それに比して、寺院の持つそれは、その立地から由来するものではない。そこに鎮座する御仏の持つ力がその内部に霊的なエネルギーを充満させるのだ・・・そして、この北円堂もしかりである。弥勒菩薩を中心に居並ぶ御仏達が、この御堂の内部にこのような静謐な空間を作りなしているのだ・・・私はどうしてもそう考えずにはいられなかった。

そして・・・南円堂

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南円堂は弘仁4年(813)、藤原冬嗣がその父、内麻呂追善のため創建した八角堂である。現在の建物は寛政元年(1789)の再建。西国三十三所の九番札所として、現在も参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである。堂の前に生える 「南円堂藤」 は南都八景の一つで、毎年、美しい花を咲かせている。

続いて東金堂と五重塔

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東金堂は神亀3年(726)、聖武天皇が伯母である元正天皇の病気の平癒を祈願し、薬師如来を本尊として創建された。例に漏れず治承4年(1180)の南都焼き討ちによる焼失他、6度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年(1415)のものである。創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来のおわす浄瑠璃光浄土(じょうるりこうじょうど)を世界がこの世に表現されていたという。正面7間、奥行き4間の本瓦葺き寄棟造りの豪壮な建築は、今もなお天平の面影を残している。

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さらにその南に聳え立つのが五重塔で、古都奈良を象徴とも言える塔である。天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后がお建てになったもの。これまた数度の再建を繰り返し、応永33年(1426)頃に再建されたのが今我々が目に出来るものである。高さ50.1m、初層は方三間、本瓦葺きの、これまた豪壮な建築物である。ちなみに、大和でこれに次ぐ高さを誇る建造物はJR奈良駅西の日航ホテルは46m。昔、この五重塔が大和における建造物の高さの基準になっており、これより高い建物を建てることが遠慮されていたなんて話を聞いたことはあるが、その是非は定かには知らぬ。ただし、条例による高さ制限は確かに存在しており、私の知る限りこの塔の高さを超えるような高さを許容されている地域は奈良市内には存在しない。

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さて、このようにしていくつかの伽藍を拝観したとなれば、次は国宝館に足を運ぶのが順番であるがこの日は都合により省略。三重塔に向かう。

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三重塔南円堂の南、やや低い奥まった場所にひっそりと聳えている。「聳えている」という語が不適切に感じられるほどのささやかな塔である。豪壮極まりない五重塔を考えれば、この三重塔のひそやかさは目を疑うばかりではあるが、その差を補って余りあるだけの美しさをこの塔は持っている。その位置する地の奥ゆかしい雰囲気と相俟って、なんとも可憐な空気を漂わせているこの塔は、どちらかと言えば我々を圧倒するこの寺の諸伽藍の中にあって、ほっと心を休ませてくれる・・・そんな場所になっている。