大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

狭井川と「ささゆり」と・・・

土曜日、降り続いた雨はきれいさっぱりとはいかないまでも、日曜の朝には何とか降りやんでいた。天気予報によれば昼過ぎからこの梅雨空は再び泣き出し始めるらしい。

・・・急がねばならない。朝食を終えると私はすぐさま家を出た。

何処に・・・?

大神神社にである。目的は「ささゆり」。この梅雨の時期のうっとおしさを一気に清爽なものにしてくれる・・・そんな貴婦人(・・・う~ん、なんとも陳腐な言い回しだなあ・・・)が私を・・・もちろん私だけではないが・・・待っていてくれる。先週の記事を書いた時にはまだ咲き初めで皆さんにお伝えするほどではなかった。

けれども来週になればこの花は、その多くが刈り取られてしまう・・・この17日、大神神社摂社である率川(イザガワ)神社で三枝祭があり、きれいに咲き誇っているはずのこの大神神社の「ささゆり」がその主役とならねばならない・・・

どうしてもこの週末、ここの「ささゆり」を見ておく必要があった。

大神神社、二ノ鳥居前につく。「ささゆり」が見頃であるとの知らせが横の掲示板にあった。自然、私の歩みは早めになる。とはいえ、神社にお参りをしているのだから、先に神様にご挨拶をしなければならない。

ということで、まずは神前で二礼二拍手一礼を行う。

いよいよ「ささゆり」とのご対面だ。

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どうだろうか・・・

花の美しさについては私は適当な言葉を弄することはできない。ただ、なぜ大神神社に「ささゆり」が、猪よけのさくに囲まれ、このように大切に植えてあるのか・・・大神神社とこの花の関係はいかに・・・という問いの答えだけはいささか準備できている。

大神神社を後にして幾分か山辺の道を北に向かうと狭井(サイ)神社がある。狭井とはその辺りの古い地名である。さらに歩みを北に進めると狭井川がある。今は雨が降らぬ限り流れているかいないかわからぬようなささやかな流れであるが、ここが古代史…というよりは神話上の重要な舞台となる。

今を遡ること××××年前(そりゃあそうだ・・・実在しなかったであろう人物の話なんだから)、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は大和に入り、即位をすませていた。次になすべきはお世継ぎをつくること・・・ふさわしい女性はすぐに見つかった。大神神社祭神三輪山にいます神、大物主神の娘イスケヨリヒメ。そのイスケヨリヒメの家のあった場所がこの狭井の地であった。

以上は古事記にある神武天皇の成婚のシーンをごく大雑把にまとめあげたものだが、この地をなぜ狭井といったのか・・・古事記の編者太安万侶はちゃんと答えを用意していてくれた。上記の一連の記事の後に割注の形として次のようにある。

其の河の左韋(サヰ)と謂ふ由はその河の辺にやまゆり草多(サワ)にありき。かれ、その山百合草の名を取りて、左韋河とつけき。山百合草の本の名は左韋と云ひき

簡単に言えば、山百合の事を古くは「サヰ」と言っていた。そして、その「サヰ」がたくさん咲いていたのでその地を「サヰ」といったのだ・・・ということになる。この割注には「山百合」とあるが、大和周辺には「山百合」が自生している例は極めて少なく、この「山百合」とは「ささゆり」のことであろうというのが大方の考えである。

大神神社と「ささゆり」の関係・・・お分かりになられただろうか・・・