大和逍遥   

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山辺の道1日旅行・・・9

薬師寺を後にした私たちは昼食をとる予定の白豪寺へと向かう。白豪寺町の少々古びた町中を歩いていると、その町なかを東西に抜けるささやかな流れが目に入ってきた。

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両岸はきれいに護岸されていて、いにしえを偲ぶには決してふさわしいとは思えぬ風情であるが、流れ自体はまことに清らかである。万葉集に詠まれた能登川のとかはだ。

詠花 能登川の 水底さへに 照るまでに 御蓋の山は 咲きにけるかも

万葉集巻十・1861

廿七日林王宅餞之但馬按察使橘奈良麻呂朝臣宴歌三首天平勝宝四年十一月) 能登川の 後には逢はむ しましくも 別るといへば 悲しくもあるか

右一首治部卿船王

万葉集巻十九・4279

大和の多くの川は今はそのほとんどが、まことにささやかな流れとなってしまっている。だがそんなささやかな流れも、古代にはかなり豊富な流量を誇っていた川が少なくはない。でなければ、船にて大阪湾から遡上することなど不可能であったはずだ。今、その往時の水量を髣髴させるような川はほとんど見当たらないのは・・・いくつかの川は上流にダムが出来てしまったこと、多くの山々が杉の植林によって保水力の乏しい山になってしまったことなどがその原因として挙げられている。

けれども・・・S先生は言う。「この川は違います。なんといっても、この川の水源は春日山・・・古来、人の手が一切入っていない山だからです。この川は昔からこんなささやかな流れだったんです(無論、S先生の御言葉の正確な再現ではない)。」と。

一同は頷くこと頻りであった。

短絡的な私は「なるほどな、でなければ・・・水底さへに 照るまでに万葉集巻十・1861)・・・なんて発想は生まれなかったのかもしれないななどと勝手な妄想にふけりつつ白毫寺への道をたどった。

その道すがら・・・

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宅春日やけかすが神社である。全国には「春日」の名を冠した神社が3000余という。その多くが春日大社祭神武甕槌命たけみかつちのみこと経津主命ふつぬしのみこと天児屋根命あめのこやねのみこと比売ひめ神を勧請したものであるが、ここはちょいと事情が違う。

祭神天児屋根命比売神で、ここには武甕槌命経津主命はいらっしゃらない。春日四神そろい踏みとはいかないのである。全国3000社を越える春日の名を冠した神社の全てがこの四柱の神を祀っているかどうかは確認してはいないが、この宅春日神社がこの二神のみを祀っているのには少々事情がある。社伝によれば、春日大社祭神のうちの一柱、天児屋根命神護景雲二年(768)に河内国平岡(現大阪府東大阪市)から大和国添上郡高円山の麓のこの地に移り、同年十一月九日に現春日大社に鎮まるまで、この地にとどまったというのだ。つまり他の多くの春日社が春日大社の成立後にその神威にあやかろうと各地に勧請されたものであるのに対し、ここ宅春日神社春日大社成立以前に春日四神のうち二神が鎮まりいました由緒正しき御社なのだ。

やけ」がその名の冠に抱かれるのは、かつてこの地がを大宅おおやけ郷と称していたことによる。

石上いすのかみ 布留ふるを過ぎて 薦枕こもまくら 高橋過ぎ 物さはに 大宅過ぎ 春日はるひの 春日かすがを過ぎ 嬬籠つまこもる 小佐保をさほを過ぎ 玉笥たまけには いひさへ盛り 玉椀たまもひに 水さへ盛り 泣きそぼち行くも 影媛あはれ

日本書紀・94

と歌われた、あの大宅である。

さて・・・時刻は12時半を回った。おなかもかなり空いてきた・・・白毫寺に急がなければ・・・