大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

山辺の道・・・磐座社

大神神社の拝殿をあとにして、その神庭の北側にある石段を下りる。休憩所のすぐ東側に私たちは、再びやや長めの石段が北に向かって上り坂をなしているのを見ることができる。

山辺の道が再び始まるのだ。

道は、再びよく茂った木立に包まれ、鬱蒼として暗い。道の右側は三輪山から伸びてくる斜面に接し、所々に土崩えが見える。道はよく整備されているが、その道から外れたところには木々の縦横に根を這わせている部分もあり、この山の「悠久」を感じさせる。拝殿はあとにしたとはいえ、ここはまだ大神神社の神域。底知れぬ霊威を感じさせる空気が道行く者を包み込んでいる。

石段はいつしか終わり、平坦となる。

やがて道の右の斜面に小さなお社のようなものが見えてくる。社といっても賽銭箱に屋根がしてあるだけで、神様はその奥の磐座に鎮座まします・・・・2m四方ほどの結界が張られ、その中央に高さが4~50cmほどの岩が見える。少彦名(スクナヒコナ)命だ。その昔・・・大国主神が国作りに励んでいた頃、小さな船に乗って海の彼方から渡来したといわれる知恵者の神だ。少彦名という名は、手のひらにも乗ったというその小さな身体に由来すると聞くが、他にも諸説ありいずれとも決め難いというのが本当のところだ。この持てる知識は並々ならぬものがあり、大国主神の国作りにおいてその果たした役割は大きい。またその際に彼は海の彼方より医療や酒造(酒も一種の薬物と考えられていたらしい)の技術をも伝えたと言われ、今も病気平癒の祈願をする参拝者が絶えない。

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以上のような、この神の業績から、この神が大陸より渡来した人々を神格化したものであるとの想像がなされるむきもないではない・・・なんとなく肯われそうにも思える考えではあるが、今の私には積極的に肯定するだけの根拠は持ち合わせてはいない。それこそ・・・なんとなく・・・本当かなあ…と思うだけである。

そして・・・この知恵者の神にも再び海の向こうへと帰る時がやってきた。

今まで国作りにともに励んできたパートナーを失ってしまった大国主神の失望は大きく、彼は一人砂浜にて嘆きに浸っていた・・・と海の遙かよりまばゆい光に包まれこちらに向かってくるものがいる。以下、古事記の一説を引用する。

是(ココ)に大國主の神、愁えて、「吾、独りにていかにかよく此の國を作り得ん。 いづれの神か吾(あれ)と能く此の國を相い作らんや」と告(ノ)りき。 是の時に海を光(テラ)してより來る神有り。 其の神、 よく我が前を治めば、吾よく共に相い作りなさん。 もししからずば、国なさんこと難(かた)し。 と言いき。しかうして大國主の神曰く、 しからば治め奉る状はいかに。 答えて、 「吾を倭(ヤマト)の青垣の東の山(三輪山)の上にいつき奉れ。」

かくして互いに出自のことなる神は合体し、この二柱は一体の神として信仰をあつめることと相成った 。始めからしたら、大分話題がそれてしまった。しかし、この少彦名を語ろうと思えば、その相棒としての大国主の存在を抜きにしては語れない。・・・少し話がそれてしまったことについてはどうかご寛恕ねがいたい・・・・

この時から出雲の神大国主と大和は三輪山にいます大物主は一体の神となる。この大神神社の神主たちが自分たちが祀る大物主大神のことを時々「ダイコクさん」というのはこのことが由来とする。

この出雲の神と大和の神とが一体になると言う説話が歴史上の事柄をどう反映しているのか・・・後の大和政権が、出雲の国に対してことさらに気を遣っているところが見受けられること、そして様々な考古学的な発見などと相俟って非常に興味深いことではあり、巷間にも様々な説がなされているが私にはこれを整理し、判断するだけの力量はない。

・・・ただ、勝手な夢想に浸るのみである。