読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

この夕べ 降り来る雨は 彦星の 早漕ぐ舟の 櫂の散りかも

万葉集 文学のこと

今日は2011年7月7日・・・そう、七夕さんだ・・・などと、改めて言わずとも、それは皆さんがよくご存じに違いない。ただ、こういった行事は本来旧暦で始まったもの。それが故に、遥かなる天空で年に一度だけ認められている年に一度の逢瀬のこの晩、今年も例によって、あいにくの空模様だ。

一体誰がこんな日に逢瀬の日を定めたのか・・・美しい星空のもとで行われるべきこの星の祭りが、なぜこのような梅雨時期に?

答えは・・・・もちろん皆さんのご想像通り、新暦と旧暦のずれにあるだろう。西暦2011年7月7日は実は旧暦では6月7日ということになっている。ならば・・・旧暦の7月7日は・・・・2011年8月6日。あと数日で立秋となる日だ。この時期ならば台風でも来ない限り夜空に雲がかかることはない。

ならば、わざわざ雨の季節に七夕などせずとも旧暦で行えば、毎年牽牛と織女のお二人はゆっくりと逢瀬を楽しめるのに・・・と思ってしまうのは私だけだろうか。事実、私の郷里、仙台の七夕祭りは月遅れの8月初旬に行われる。けれどもこれは全国的な習慣とは言えず、新暦で七夕の行事を行っている場所がほとんどであろうと思う。

ところで、周知のごとく、七夕は中国の古い伝説で、奈良時代にはすでに日本でも語られており、それにちなんだ和歌が万葉集に幾首も読まれている。

本家である中国ではさらに古く、この説話自体がいつ頃のものかは定かではないが牽牛・織女の語は春秋時代詩経と言う詩集に、すでに見つけることが出来る。さらに時代は下って、中国南北朝時代の文選という詩集に、漢の時代の詩として収められている「古詩一九首」には、その伝説を窺わせるような内容が歌われている。そして、やや時代は下り六朝時代の殷芸(インウン)の「小説」には、

「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。 年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。 天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。 嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」

と ほぼ今と同じ形の説話が見ることが出来るようになる。

そして、その年に一度の逢瀬の日には、いずこともなく、あまたのカササギがやってきて、その羽を重ね合わせ橋をなし、天の川を渡るのを助けるのである。この日、雨が降れば、川の水が増えてカササギが橋を渡せなくなり、年に一度の二人の逢瀬はかなわぬ事と なる。

大伴家持の作とされる歌で百人一首にもある

鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける

という歌もこの伝説をふまえて、宮中の渡り橋を天上の橋に見立てたものと思われる。

ところで、カササギが橋を渡すといった発想はこの伝説の本国、中国のものであり、奈良時代の人々はそのようには考えていなかったと思えるふしが次の歌を読むとうかがえる。

久方の 天の川瀬に 舟浮けて 今夜か君が 我がり来まさむ

万葉集巻八・1517

天の川があって、そこで「君」という男性に対する呼びかけの言葉がある以上、ここは当然「牽牛」。そして、それに対する「我」は織女ととらえて良いだろう。その夜、逢瀬の時間が近づいてくる。織女には待ち遠しくてならない時間だ。「今頃、あの方はどうしていらっしゃるんだろう・・・、きっと、舟の準備を・・・」などと考える。 そんな織女の心情を思いやっての作だ。ここでは「カササギ」は橋を渡さない。牽牛が自分で天の川に舟を浮かべ、その舟を漕ぎながら織女の待つ対岸へと向かうのである。

さて、時刻が来た。いよいよ牽牛は船を漕ぎ出す。その気配を織女は

天の川 霧立ちわたる 今日今日と 我が待つ君し 舟出すらしも

万葉集巻八・1765

と川面にたつ霧によって感じとる。これは織女の立場になりかわって詠んだ歌だ。そして、そんな様子を地上で見ている人間の立場で詠んだのが次の歌だ。

彦星の 妻迎へ舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは

万葉集巻八・1527

ここで注目して欲しいのは、舟を漕ぎ出すことによって「霧」が発生していることだ。天上界の事であるから、そこでの「霧」は、地上にいる我々から見れば「雲」・・・すなわち曇り始めたことを意味する。現代的な感覚で考えれば、この夜、このままでは天候に恵まれず二人は会えないことになる。けれども、上の万葉歌によれば、それこそ牽牛が織女に会いに行ったしるしだと言うことになる。

と言うふうに考えると、この二つの星は雲によって、我々地上界からその姿は見えなくはなるが、その雲の陰でしっかりと逢瀬を楽しんでいることになる。つまり、「雲」(天の川の霧)はけっして二人の逢瀬を阻むものではなく、ぎゃくに二人の姿を地上にいる我々の好奇の目から隠してくれるベールとなっているのだ。

じゃあ・・・雨はどうなのか?

・・・心配はない。

この夕べ 降り来る雨は 彦星の 早漕ぐ舟の 櫂の散りかも

万葉集巻十・2052

もう、説明の必要もないだろう。年に一度の逢瀬である。彦星は一刻も早く織女の元にたどり着きたい。大急ぎでその船を進ませようとするはずだ。となれば、そこから散る雫は、急げば急ぐほど、その量は増す。ということは、地上に降る雨が激しければ激しいほど彦星が天上の国で妻の元へいそいでいることになるではないか・・・・