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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

イノウエミチヤス?

万葉集 文学のこと 考えたこと

井上通泰・・・ちょいと聞き慣れない名前かと思う。明治期に活躍した桂園派歌人で国文学者でもあり眼科医でもあった人だ。正しくは「ミチヤス」とその名を読むべきなのであろうが、一般には「ツウタイ」と読むことが多い。

Inoue_Michiyasu

父は儒者松岡操で姫路元塩町に生れる。1877年に12歳で医師井上碩平の養子となる。この頃より国学研究・文学活動を志すようになった。無論、医師の家に養子としてはいるからには、将来は医師として身を立てることを前提としており、後に東京帝国大学医学部予科に入学することになる。この頃から宮内省派・御歌所派とも称された桂園派の和歌を学びはじめ、森鴎外とも交友を結び、1889年、鴎外らと同人組織の新声社を結成した。

大学卒業後は医科大学付属病院眼科助手・姫路病院眼科医長・岡山医学専門学校教授科を歴任し、1902年に再び上京、眼科医院を丸の内に開業する。

その後、鴎外邸の観潮楼歌会などに出席するようになり、宮中関係の歌人と親交を結ぶ。1906年、歌会「常磐会」(後に山縣有朋も参加するようになる)を結成、1907年に御歌所寄人に任命される。1916年から明治天皇御集(1922年)の編纂にかかわる。1926年には還暦を迎えたことを期に医業を廃し、歌道と国文学研究にその後の人生を捧げるようになる。近代に入って最初の万葉集全歌注である万葉集新考は、彼が主催した南天荘同人会という歌の研究会において、その門人に講義した内容をもとにしているという。なおこの書を幕末の国学者安藤野雁による同名の書と混同を避けるため井上新考とも呼ぶこともあるが、単に新考と言ったときには多くの人がこの井上通泰のもの想起することを思えば、この二つの同名の書のいずれが重きをなしているかは自ずと知れてこよう。

・・・とくだくだしく一人の歌人でもあり、国文学者でもあり、また眼科医でもある一人の人物の来歴を述べ来たったが、本当に書きたかった事柄はここからである。

いつのことだったかはちょいと失念したが、出張で車を走らせていた折、そのラジオに兵庫県神崎郡の福崎町の観光協会の方が出ていらっしゃって、その町のご自慢を披露されている中で福崎町立柳田国男・松岡家記念館についてふれられていた。柳田国男はご存じ民俗学の巨人。その名を知らぬ方の方が少ないかと思うが、そんな話をしている中で井上通泰の名が出たのだ。そして・・・柳田国男の兄だというのだ。ラジオのこととて、その情報は音声のみによるもの。「イノウエミチヤス」という名が私の耳には聞こえてきた。「イノウエミチヤス」・・・?・・・誰だ、そいつは・・・なんて思って、しばらくの間はピンと来なかった。

彼の著した新考は、歌人としての感性から来る独創的な見解(無論、独創的と言うことは時に独断的であるという意味も含む)もしばしば見られ、万葉歌を理解しようとするときには必須の書であるゆえ学生時代に少々万葉集を囓ったのみの私でも、それを我が蔵書には加えているし、当然そのページを開くことも一度や二度ではなかったゆえ、井上通泰の名を知らぬはずはなかった。ただ私が知っていたのは「イノウエツウタイ」であって「イノウエミチヤス」ではなかったのだ。

ラジオで聞いた「イノウエミチヤス・・・・」が、私でもよく知っている「イノウエツウタイ・・・・」と同一人物であるということを知ったのはしばらくたってのことであった。そして私はようやく民俗学の巨人柳田国男と自分が学生時代にその書にかなりの回数お世話になった井上通泰とが、兄弟であったことをこの時初めて知ったのである。無論両者ともに養子に出て姓が変わっているゆえ、このことに気づかなかったことをある程度容認できるかも知れないが・・・

家に帰ってちょいとググってみると、さらに驚いた。これまた私がその名をよく知る言語学者の松岡静雄(海軍大佐でもあり民族学者でもある)もまたその弟であるというのだ。

思えば世に名をなした方々が兄弟である・・・すなわち兄弟そろって優秀である・・・という例は少なくはない。私の囓った万葉集の研究者で言えば、昭和万葉学の金字塔たるべき万葉集注釈の著者澤瀉久孝おもだかひさたか先生(この方は「先生」をつけずにいられない)とフランス哲学の澤瀉 久敬おもだかひさゆき氏もその一例。

もっと有名な例で言えば歴史学で有名な貝塚茂樹氏の兄弟があろう。実父は地理学者の小川琢治、長男は経済学者の貝塚啓明、もう一人の兄はに冶金学・金属工学者の小川芳樹、さらには弟に原子物理学者の湯川秀樹(これが一番有名かな?)、そして中国文学者の小川環樹(私のようなものでもその名はよく知っているし、いくつかの著書は読んだことがある)。

こんなのを見ると、その人を取り巻く周囲の雰囲気(家庭環境などとは言わない。ましてや遺伝子やDNAなどとは)というものが、いかに個の形成に大きく作用するものなのだなと思ってしまう。

無論そのような雰囲気に恵まれずとも、その才能の芽を育て花咲かせた人も少なくないことや、逆にそのような雰囲気の中にあっても個々にあったはずの才能の芽を咲かすことなく終わった人の方が遙かに多いことも私は知っている。そしてこれが最も重要なことであるが、才能の芽を咲かすことなく人生であってもそこにはそれなりに充実がそこにはあるのだとは思うし、敢えて言えば才能の芽を咲かせない自由だって人にはあるんだと私は思っている。

けれども・・・上に示したような例を見たときに・・・ふと、自らの不明を他者のせいにして安堵しようとする自分が・・・そこにいるのである。

 

・・・そうそう、忘れていた。もっと有名な例があった。兄弟で総理大臣という例があったではないか。そう、今の総理大臣のおじいさんである。

・・・ただ・・・この場合、どう評価してよいかは私は知らない・・・・


 

この文章の上半分は以下の論文を参照にした部分が多いゆえ、その所在を示しておく。ご興味がおありならばご一読をお薦めする。 「播磨国風土記新考」の著述とその助力者について:井上通泰研究序説

井上舞