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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

9月1日に思う・・・1

國びとのウラさぶる世にひしより、

顔よき子らも、

頼まずなりぬ

大正十二年の地震の時、九月四日の夕方こゝ※1を通つて、私は下谷・根津の方へむかつた。自警團と偁する團体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり圍んだ。その表情を忘れない。戦爭の時にも思ひ出した。戦爭の後にも思ひ出した。平らかな生を樂しむ国びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。あの時代に値(ア)つて以來といふものは、此國の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出來なくなつてしまつた。

(「自歌自註」 角川書店 日本近代文学大系 46巻 折口信夫集)

※1・・・増上寺山門

民俗学の泰斗であり、歌人としてもこの国の文学史の一画に揺るがざる地位を占める折口信夫歌人釈迢空)のこの一首は一昨年の年末に一度紹介している(「顔よき子らも、 頼まずなりぬ」)。

今なお治まることの知らぬヘイトスピーチというものが世間に疎い私の耳にも入り出したこの年(2013年)、どうにも腹に据えかねて抗議の思いを込めて紹介させていただいたのだが、今日はこの歌が詠まれるきっかけとなった関東大震災のあったその日であるということふと思い出し、本日再び紹介させていただいている。

この年の夏、沖縄への調査旅行に出かけていた折口信夫は調査を終え東京へと戻る途中、震災の報を受ける。神戸より関東に向かう救護船に乗り込んだ彼は9月3日に横浜に上陸し、そこから徒歩で自宅のある深川へ向かった。

翌9月4日のことだ。深川へあと7~8kmの芝増上寺の山門近辺を通ったとき「自警團と偁する團体の人々」が「刀を抜きそばめて」彼を「とり圍んだ」のである。上野誠氏の「魂の古代学-問いつづける折口信夫」によれば、大阪出身ゆえ関東とは違うアクセントで語り、朝鮮語の心得もあったため間違えられたのかも知れなかったということだが、とにかく彼は刃を突きつけられた。

Orikuchi

「平らかな生を樂しむ国びとだと思つてゐた」人々が「一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ」と言う事実に、彼は以降この国の人々が信じられなくなったのである。

・・・顔よき子らも、頼まずなりぬ・・・