大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

9月1日に思う・・・3

昨日は世に言う関東大震災における朝鮮人虐殺の際に、不適切な言い方を恐れずに言えば「どさくさに紛れて」殺された「日本人」も少なからず存在したことを示す志賀直哉の一文を紹介した。さらにもう数例紹介したいと思う。

 喧嘩はしばらく続いていた。すると在郷軍人らしい方が、・・・突然座席へ突っ立ち上がった。 「諸君、こいつは鮮人※1だぞ。太い奴だ。こんな所へもぐり込んでやがって」・・・ 「おら鮮人だねえ。鮮人だねえ」 ・・・時どき脅えきったその男の声が聞こえた。しかも相手がおろおろすればするほど、みんなの疑いを増し興奮を烈しくするばかりだった。(その男は次の駅で引きずりおろされ)物凄いほど鉄拳の雨を浴びた。 「おい。そんな事よせ。よせ日本人だ。日本人だ。」 私は思わず窓から首を出してこう叫んだ。側にいた二三の人もやはり同じようなことを怒鳴った。…こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。私には、一箇月ほどたった後に埼玉県下に於ける虐殺事件が公表された時、あの男も一緒に殺されたとしか思えなかった。 そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心からの侮蔑と憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。 ※1 この語は朝鮮の民に対する差別語であり、本来なら使用をはばかるべきであろうが、ここは作品のオリジナリティーを尊重し、訂正することはしなかった。

とは、 プロレタリア文学の活動家江口渙の「車中の出来事」(東京朝日新聞1923(大正12)年11月11・12日)の一節である。その指摘が事実であろうがなかろうが、震災後の際限を知らぬ不安の中、人々は「在郷軍人」らしき者の言葉を信じて疑わない。いや、それは真実であったかどうかはたいした問題ではなかったのだ。今自分達が背負わされているどうにもならぬ苛立ちを解消させてくれる対象があればそれで良かったのだ。そして「在郷軍人」らしき男が「その男」をその対象だと先に宣言した。

諸君、こいつは鮮人だぞ」・・・・と。

こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。

「その日本人」がどうなったのか・・・おそらくは作者の推定の通りであろう。

正気を保っている者もその場に少なからずいたこととは思う。しかしその良心を発露させるにはこの場の空気はあまりに殺伐としていたのだろう。その多くは口をつぐんでしまった。稀に蛮勇をふるい口に出したところでもう誰もそんな人々の発言などは誰も耳を貸さない。※1でも指摘した文中の「鮮人」なる差別語・・・この一文をよく読めば作者がこの語を是認してはいないことがよく分かるかと思う。作者はこの語を使用する「在郷軍人」らしき者の醜悪さを告発するためにあえて「在郷軍人」らしき者の言葉をそのまま使用しているように見える。そしてその差別意識は被害者である男の側にもあった。

「おら鮮人だねえ。鮮人だねえ」

そして江口はそういったこの国の人々を強く糾弾する。それはかの時代においては極めて勇気ある発言であったと思う。

そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心からの侮蔑と憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。

他にも小山内薫によれば作曲家山田耕作も同じような経験をしているという(「道聴途説―耕作君とピストル」 女性 10 月特別号)。

Kosaku_Yamada_02

 山田耕作君はハルビンで大震の報に接した。急いで東京へ帰らうとして、先ず護身用のピストルを買つた。それを何かに包んで、ルツクザツク※2の奥深く納めた。・・・甲府を出てからのことであつた。車中に興奮のあまり気の変になつた学生があつた。学生の目には、車中の誰も彼もが○○※3に見えた。学生は車中の総ての人に荷物の検査を迫つた。耕作君の袋の中にはピストルがある。・・・若かし、それを見られたら、自分は殺されると思つた。 耕作君は終に立ち上がつて演説した。(荷物検査をするなら陸軍の出張所に行くように説得し、みんなの賛成を得る。) 耕作君はほつとした。 「実際、もうお終ひかと思つた」と、耕作君は幾度も言つた。 ※2リュックサック ※3本来ここには「鮮人」なる語があったとされるが、当局の検閲により伏せ字にされたらしい。

ここではかの大作曲家山田耕作がその不安から来る苛立ちの対象になりかけている。興味深いのは山田耕作が何を恐れピストルを購入したかである。ただ単に震災後の治安の悪化を恐れてのものか、朝鮮人が暴動を企てているとの流言を信じてのことかは知らない。山田耕作がどこまで被災地の情報を手に入れていたか、知りようがないためにどちらとも断定は出来ないが私は後者ではないかと思っている。でなければ、いくら治安が乱れてるといても、ピストルまで購入に帰国するというのは行き過ぎではないかと思う。しかしここでの目的は山田耕作を単純に糾弾することではない。さらに文を読み進めよう。

「興奮のあまり気の変になつた学生」とあるが、その興奮の原因には朝鮮人達の暴動に対する恐れがあったのだろうと思う。だからこそ、彼は人々は恐れたのだ。そして「学生の目には、車中の誰も彼もが○○に見え」、その確認のために・・・すなわち暴動のために凶器なり毒物なりを所持していないかと「車中の総ての人に荷物の検査を迫つた」のだ。

そして山田は恐れる。自らの袋中のピストルの存在が知られることを。これが明らかになれば、学生は自分を「朝鮮人」と断定するに違いない。そして一端この学生が自分を「朝鮮人」だと断定すれば・・・後の事は容易に想像できたのだ。とすれば、やはり山田耕作の胸中にもこの学生と同様の不安があった事は否めない。彼もまた「朝鮮人」の暴動を恐れる一人であったのだ。ただそれが、そのままその虐殺につながるほどの思いが彼の胸のなかのあったことを意味しないとも思う。

人々は恐れた。震災という未曾有の出来事の出来により、この世には何事もありうるのだと・・・そしてその恐怖の矛先になったのが、日頃自分たちが抑圧し、必ずや自分たちを怨嗟の対象にしているに違いないと思っている「朝鮮人」だったのだ。そしてその時のこの国の人々の異常なる心象は、彼等をスケープゴートを見なし、それを抹殺することにより安定を求めたのであった。多く語られていることによれば、6000をこえる無辜の命が失われたのだという・・・

上にも述べたように「朝鮮人」という烙印は事実であろうとなかろうと問題ではなかった。「朝鮮人」だと見なせばそれで良かったのである。この事実は自らの意思にそぐわぬ存在を直ちに「在日判定」し、罵倒することをはばからぬ今日のネットの世界も彷彿とされ、過去の出来事とすませておくことは出来ないのだ。