大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

9月1日に思う・・・4

関東大震災の際に殺されたのは「朝鮮人」だけではない。決して少なくはない日本人も、異常な状況下における狂気によってその貴い命を奪われた。そしてそんな狂気を・・・決して見逃すことなく巧妙に利用しようとする存在がある。

関東大震災の直後そのどさくさに紛れ、アナーキスト大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一もまた尊い命を官憲により奪われた(甘粕事件)。さらには社会主義者の川合義虎、平沢計七ら10名が亀戸警察署に捕らえられ、9月4日から5日かけて習志野騎兵第13連隊によって刺殺された(亀戸事件)。

これに抗議して編まれたプロレタリア雑誌『種蒔き雑記』に収録された無署名の一文「平沢君の靴」には震災の 2 日後に平沢が連行され、その翌日、著者が荷車に石油と薪を積んでひいて行く巡査と出会った場面が描かれている。

「石油と薪を積んで何処へ行くのです。」 「殺した人間を焼きに行くのだよ。」… 「昨夜は人殺しで徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人が亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ。」 「皆鮮人ですか。」 「いや、中には七八人社会主義者もはいっているよ。」 そこで、著者はその死体のある場所を教えてもらい、そこへ向かう。そこに二三百の鮮人、支那人らしい死骸が投げ出されていた。 自分は一眼見てその凄惨な有様に度肝をぬかれてしまった。自分の目はどす黒い血の色や、灰色の死人の顔を見て、一時にくらむような気がした。涙が出て仕方がなかった。… その時私はいつも平沢君のはいていた一足の靴が寂しそうに地上にころげているのを見た。

(「天変動く 大震災と作家たち」より引用)

ここでは朝鮮人の虐殺が単に民衆の暴走によりのみ行われてはいなかったことが明らかにされているが、それと同時に、それに紛れて権力にとって都合の悪い存在を無き者にしようとの力学がそこに働くことを見ることが出来る。おそらくはそんなに高い位置から下った命令ではないかと思う。けれどもその上層部の意向を忖度する者たちがこのような行為に及んだのだと思う。

いずれにしろ震災後における異常な心理が、このようなこのような状況を招来したことは疑いもない。人々の心は「すさみ切」り、官憲はその異常につけ込み邪魔者を排除したのである。異常な出来事は私たちの心を荒廃させ、そして異常な出来事を異常なことと思わなくする作用があるらしい。

心しなければならない。そして最後に・・・

この一文が無署名であると言う事実は軽くはない。名を明らかにすることが、その作者の命を危ういものにすることは明らかな状況であったのだ。そんな時代が再び訪れようとしているのかもしれない・・・

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

マルティン・ニーメラー