大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

山辺の道・・・狭井神社

大神神社からほど近い磐座(イワクラ)の社を後にしてほんの1、2分。道の右手に静かな・・・なんとなく優しげな空気の漂う空間があるのに気づく。

狭井神社だ。正式には、その優しげな空気に違い、狭井坐大神荒魂(サイニイマスオオアラミタマ)神社というらしい。

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そう広くはない境内ではあるが、翻ってみればその境内を取り囲む広大な空間自体が神域といってもよい場所なので、微塵も世俗の喧しさを感じさせない。祭神はその正式な社名からもうかがい知られるように大物主神の荒御霊(アラミタマ)。

では・・・その荒御霊とは一体何なのか。

既述のごとく大物主神はこの三輪山にいます神であり、大神神社主祭神である。その大神神社からさして離れてもおらぬ場所に同じ神がなぜ祀られるのか。答えはこの荒御霊なる語、そのものにある。古代、日本人はありとあらゆる自然現象に「神」を見た。大物主神もそんな神の中の一柱である。自然は大いなる恵みを我々人間にもたらし、慈しみ、育んでくれる。けれども、3・11で思い知らされたとおり自然は人間にやさしい側面を見せてくれるわけではない。激しく、荒々しく、そして時には我々の生命さえも簡単に翻弄してしまう・・・そんな側面も持ち合わせている。

前者を和御霊(ニギミタマ)、後者を荒御霊と呼ぶ。

ここ、狭井神社は大物主神の荒ぶる魂をなだめすかし・・・それはすなわち荒々しき自然の猛威を少しでも和らげ、その恵みの部分のみを享受しようとした太古の民の知恵の結晶なのだ。

狭井・・・サヰ・・・なる語は古代「ユリ」を意味する語であり、この地が「ユリ」の花咲く地であったことからこの辺りが「狭井」と呼ばれるようになったと古事記にはあるが、一方では「狭井」の文字面から想像できるような立地にあることも認めなければならない。

上の写真にある社殿の裏手に回ると神水の井戸、「狭井」がある。ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病気が治ると信じられており、いつ行ってもこの水を汲みに来る参拝者の姿が絶えることはない。

この井戸の名がそのまま神社の名になったというのだ。

多くの参拝者たちは、その後者の説を信じて疑わないが、前者の考えだって捨てたものじゃあない。初代神武天皇がその后、イスケヨリヒメに声をかけたのは三輪山北西麓の「狭井の地」。そしてイスケヨリヒメは大物主神の娘・・・そして、この神社に祀られているのは・・・

・・・全くの根拠なしとしないどころか、この方が可能性が高いような気がしないでもない。井戸は逆にその神社の名から後になってつくられたと考えられないでもない。無論、そう考えるとここの薬水の霊験がいささか目減りするような気がしないでもないが・・・

ところで、山辺の道をはずれてこの神の社の境内に足を踏み入れたなら、すぐに賛同の左側にある石碑に気がつく。

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・・・・「清明」とある・・・・清く明き心・・・・

ご存知三島由紀夫の手になる文字だ。三島はその著書「豊饒の海ー第2巻ー奔馬」執筆の際、取材のため、大神神社を訪れ、三輪山に登ったと聞く。そして、この狭井神社は三輪山の唯一の登山口でもある。恥ずかしながら三島についてはほとんど知らない。その晩年の過激なマッチョ思考や右傾化した思考、そしてその壮絶な死にざまについては記憶はないでもないが、その作品はほとんど読んだことがない。したがって、ここで十分な説明をすることはあたわぬ。詳細については下の写真を拡大し、お読みいただきたい。

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・・・ちょいと見づらいかな・・・・