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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

法隆寺に行く・・・6

大和のこと

続いて行くべきは大宝蔵院、そしてその北端に位置する百済観音堂である。ここには日本史の教科書でおなじみの百済観音や玉虫厨子をはじめとした、この寺の所蔵する国宝や重要文化財がずらりと展示されている。法隆寺までやってきてここに入らない手はない・・・が、今日はタイミング悪く大勢の修学旅行生が入って行くのが見えた。これではゆっくりと法隆寺の誇るの宝物を拝見することが出来ない。よって、ここは大宝蔵院、百済観音堂は後回しにして夢殿で有名な東院伽藍へと向かうことにする。

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東院伽藍は西院伽藍前の広場から東にまっすぐに伸びている道の突き当りにある。その道を西院伽藍の南東の外れの出口から100mほど行くと東大門がある。「中ノ門」ともよばれているこの門は、平安時代(の何時かははっきりしない)に今の場所に移されたという。三棟造りという珍しい造りのこの門は奈良時代を代表する建物の一つである。

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門を抜ければご覧のような道。奥に東院が、そして夢殿の屋根が見える。両脇には付属する寺院の土塀の間に白い道が真っ直ぐにのびている。西院、東院といった聖なる場所を結ぶには実にふさわしい清浄な道である。上手く修学旅行生の波を外したおかげか、ご覧のように道にはほとんど人がいない。その距離はおおよそ200m。私はその空気を楽しみながらゆっくりと東に向かった。

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そして突き当たるのが、夢殿を中核とする東院伽藍である。夢殿を南側には

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礼堂、そして北には

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絵殿(建物の向かって左半分)、舎利殿(右半分)が立ち並び、その南北の二つを結ぶ回廊が夢殿を取り囲んでいる。これが東院伽藍である。東院伽藍は東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立されている。天平11年(739年)、その斑鳩宮のあまりの荒廃を見て、僧行信が日本仏教の開祖ともいえる聖徳太子の住居がこれではあまりだと考え、創建したと言われている。なお言い忘れたが、絵殿・舎利殿にはその北側にもう一つの堂宇が連接している。

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写真の白壁の建物がそれであるが、伝法堂と呼ばれる建物である。なんでも、橘夫人の住居をここに移したものだと言われている。橘夫人は藤原不比等夫人であり、光明皇后母である県犬養あがたいぬかい三千代みちよのことかと伝承されて来たが、現在では聖武天皇夫人の橘古奈可智こなかちとする説が有力らしい。奈良時代の住宅遺構としても貴重な建物だという。