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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

高天彦神社に行く

6時40分・・・いつもなら私はこの時間に家を出て、東に向かう。職場に着くのがだいたい40分後・・・であるのだが、その日は少々違っていた。車のエンジンが回り始めたのが7時過ぎ、しかも向かうのは山の盆地の西端、金剛山・葛城山の麓にある御所市・・・仕事の都合である。

ただ・・・いつもよりやや遅い7時に家を出てはいるが、これだと目的地に着いて7時と40分ぐらい、ちょいと早すぎる出勤の感は否めない。これがいつもの職場なら、かなり早く着いてもそれなりの居場所はあるが、この日のような出張先だとそうはいかない。1時間半も前について中に入れてくれと言えば、向こうにとって迷惑というもの。少々慎まねばならない。ならば、家を出るのをもう少し遅くしたらいいのに・・・とも言えなくはないが、それがかなわないのだ。駐車場が近所の小学校のスクールゾーンに入っていて、7時半になると駐車場の周囲の道は通行できなくなるのだ。ということで、出張先付近には約束の時間の1時間以上も前に到着。ただし上にも述べたとおり向こうにご迷惑になるから、近くで時間つぶしが出来ないかと考えた。

そこで思い出したのが一昨年だったかに訪れた高天彦神社。なあに、車を10分ほど走らせればいい・・・

山麓線(県道30号線)を南へと下り、あと5分も走れば五條市というあたり、「神話の里・高天ケ原」と書いた看板が見えてくる。その掲示に従い坂道を4~500・・・m上って行った先に、高天の里はある。かなり高い標高に位置するこの里は神話に出てくる高天原でもある。

もちろんそれは伝承に過ぎない。 古来「高天原」は天上の地と考えられていた。殊に戦前の皇国史観においては天上の神々とのつながりを説くことで、天皇の権威を揺るがせないものしようとのむきも多かった。しかしながら、これを地上のどこかの場所に比定しようとの考えが無かったわけでもない。事実、京都にあった朝廷は江戸時代初期まで、この葛城の高天を「高天原」跡だと考えていたらしい。他にも、宮崎は高千穂、熊本は蘇陽、蒜山高原を「高天原」跡だと考える説もある。 まあ、朝廷が江戸の初期までここだと考えていた以上、この葛城の高天がもっとも由緒正しい「高天原」伝承地ということになろうか。

なんてことを以前の記事では書いた。ただ・・・「京都にあった朝廷は江戸時代初期まで、この葛城の高天を「高天原」跡だと考えていたらしい。」と書いたのはウィキペディアあたりの受け売りで、典拠が定かではない。もしお教えいただける方があればお願いしたいのだが・・・

Hisilicon K3

駐車場から参道はすぐだ。もう幾年過ぎたのか考えるのもおっくうになるほどの齢を過ごした巨大な杉の並木道がそこにある。道はなんの整備もされておらず歩きにくい・・・ただ、こうやってこの写真を見ると、いかにもこのお社が鬱蒼とした森の中に、ぽっかりと日の射す空間があって、そこに立っているような印象を受けるが、実はそうではない。参道の両脇の杉はあくまでも並木であって、森のようにはなっていないし、御社の前には車が通れるような道が横切っている。

ただしそうではあっても、参道に入ろうとする者にはこの道が上の写真のようにしか見えないのであるから、やはりそれなりに気が引き締まる思いがする。

参道の長さは50mほど・・・それだけ進めば小さな古びた社殿がそこにある。

 

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