大和逍遥   

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続 お彼岸は寺参り

23日は彼岸の中日、前日の飛鳥寺に続いて奈良町にある元興寺にお参りをした。なかなか信仰深いことである。

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昨日は飛鳥寺について

飛鳥寺・・・現在、正しくは現在は安居院と呼ばれているこの寺は、かつて正しくは法興寺・元興寺とも呼ばれた。

と紹介したが、その元興寺が平城遷都に際して、引っ越してきたのが今ある元興寺である。前回も述べたように元々は蘇我氏の氏寺として創建されたこの寺は、この引っ越しを機に官大寺としての性格を帯びるようになった。場所は興福寺の南、東大寺興福寺と並ぶ大伽藍を、猿沢の池に接して誇っていた。その規模は南北に約440m、東西に約220mという広大さである。幾たびかの火災がその規模の縮小を呼び、変わってその場所に進出した町衆が築き上げたのが現在奈良町と呼ばれている地域である。

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本堂は極楽堂ともいい、堂内の中央に柱が据えられるという珍しい構造になっている。そしてその柱を中心に板敷きの内陣が配置され、その周囲が畳敷きとなっている。鎌倉時代に旧僧房の東端部分を改造し、今ある構造になったと思われるが、内陣の内にある角柱や天井の板には奈良時代のものが再使用されているという。さらには屋根瓦の一部にも飛鳥〜奈良時代の古瓦が使用されており、まさに「天平の甍」どころか「飛鳥の甍」「白鳳の甍」が今なお現役で活躍している。

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さらにその西に続く禅室(写真では奥に延びている建物)は本堂の西に軒を接して建っているが、これもまた現本堂も含んだひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したものである。ここもまた本堂と同じように部材や屋根瓦の一部には奈良時代のものが使われている。そして驚愕するべきは、2000年の元興寺文化財研究所が発表した内容である。これによれば、禅室の一部の部材が年輪年代測定法の調査により、西暦582年伐採の樹木が使用されている可能性があるのだという。その推定を信じるならば、本建物の一部には法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていることになる。元興寺HPの年表によれば蘇我馬子が飛鳥に法興寺の工を起したのが588年とあるからには、その6年前にはそのための用材を準備し始めていたことになる。

なんて七面倒くさい口上はここまでにして・・・この季節の元興寺を飾る秋の花々をご覧いただくことにする。まずは萩。

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そして境内の至る所にいらっしゃる小さな小さな仏様達を飾る曼珠沙華と桔梗。

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数は少ないものの秋明菊も美しい。

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そして・・・境内北西の隅にある石舞台を彩る芙蓉もなかなか趣深いものがあった。

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ここのところ何年か続けてこの時期にこの寺を訪れているが、それは・・・これらの花々を見るためであること、言うまでもない。