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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

満願成就

大和のこと

既にお気づきのことかと思うが、ここのところ1日も休むことなく記事の更新を続けている。週に1度か2度のペースで更新を続けてきた本ブログとしては破格のハイペースである。私がこんなペースでいつまでも続けられるわけではないことは、いつもおいでくださっている皆さんならよ~くお分かりのことであるかと思う。

そう・・・今日で終わりである。

思い返せばそれは8月の末日に近いころであった。日ごろ御贔屓にしてくださっている薄氷堂さんのブログに訪問した時のこと・・・そこには驚くべきことが書いてあった。毎年のように7月になると「ブログ強調月間」と銘打って毎日ブログを更新なさっているやた管ブログさんに倣って8月に毎日ブログを更新なさっていた薄氷堂さんが、来月は私に引き継いでもらう・・・とご命じになさったのだ。

ご・・・ご無体な・・・とは思ったが、日頃私淑してやまない薄氷堂さんの御言葉とあれば無碍にお断りするわけにはいかない。やれる限りはやってみようと、9月末日のこの日まで無い力を絞ってきた。その苦悩の日も今日が最後・・・なんとか満願成就の日を迎えた。自分で自分を褒めたい一日である。

そんな今日・・・とある事情があって、母校である大学を訪れた。こんな日にそんな事情が生じるのも何かの因縁・・・約束の時間よりも早く大学についたことをいいことに、その近くの石上神宮を訪ねてみた。今日この日まで無事に更新を続けられたことの御礼を申し述べにと思ったのだ。

実に立派な楼門は、その棟木に記された墨書によれば、鎌倉時代末期、第96代後醍醐天皇の文保2年(1318)建立のもの。古くは上層に鐘が吊るされた鐘楼門であったが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却されのだという。今その鐘はどこかで古色蒼然たる響きでその地域の人々に時を告げているのか・・・あるいは鋳つぶされてなにか別のものになっているのか・・・それは分からない。木額には「萬古猶新」と書かれているが、これは山縣有朋の筆だ。

拝殿は石上神宮への崇敬の念が厚かったという白河天皇が、当神宮の鎮魂祭のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿)を寄進されたもの。建築様式からは鎌倉時代初期のものとされるが、いずれにしても拝殿としては現存する最古のものである。先にも示したとおり、ここにて無事ブログ強調月間が無事終了したことを報告し、いつもより少々お賽銭をはずむ。

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拝殿の向かい側の小高くなった所には、摂社がいくつか立ち並んでいるが、その中心たる草薙剣の荒魂である 出雲建雄神を祀った出雲建雄神社があるが、写真はその拝殿である。元来は内山永久寺の鎮守住吉社の拝殿であったが、大正3年に現在地に移築されたのだという。

少々時間的な余裕があったので、ゆっくりと境内を歩き回っていたが、そろそろ時間が迫ってきた。

本来の用事に戻らなければならない。今日は・・・我が母校の後輩の・・・それも、今私がついている仕事に就こうと思っている若い人たちの前で、その仕事に就いて語らねばならない・・・

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