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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

味酒 三輪の御山の酒祭り・・・前置き

三輪の枕詞は「味酒うまざけ」である。「みわ」なる語は萬葉集巻十三の3229に

斎串いぐし立て みわ据ゑ奉る 祝部はふりへが うずの玉かげ見ればともしも

の傍線部「みわ」が原文では「神酒」と表記されている例や、和名抄にも「神酒」に「美和みわ」との訓みが記されていることから、神酒のことをさす語であることがわかる。そしてその褒め言葉として「うまきさけ」・・・「うまさけ」の語がある。そしてその三輪山の麓大神神社に祀られているのが大物主大神である。大物主大神と酒のかかわりについては日本書紀崇神天皇の條8年に次のような話が乗っている。

八年(崇神天皇)の夏四月の庚子かうしつきたちにて乙卯いつぼうに、高橋むら活日いくひを以ちて大神おほみわ掌酒さかびととす。冬十二月の丙申へいしんの朔にて乙卯。天皇太田田根子おほたたねこを以ちて大神を祀らしめたまふ。是の日に、活日自ら神酒みきささげ、天皇たてまつる。りてうたよみして曰く、 この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主が みし酒 幾久いくひさ 幾久

崇神天皇の八年の夏四月の庚子の朔の乙卯(16日)の日に、高橋邑の人活日を大三輪の社の掌酒に任じた。その冬十二月の丙申の朔の乙卯(20日)の日。天皇、太田田根子に三輪山の大神を祀らせになられた。。この日に、活日は自ら神酒を捧げ持って、天皇に献上したのであった。そうして歌を詠み、

この神酒は 私などが醸造した神酒ではございません。

倭の国をお造りになった大物主の大神が醸造された神酒でございます 

幾久しくお栄えあらんことお祈り申し上げます・・・

と申し上げた。

高橋邑の活日(高橋活日)とは祟神天皇の御代に召されて大神神社の掌酒となった人。である以上、当時酒造りの名人として名が知られていたのであろう。記録上最初の杜氏さんということになる。したがって酒屋さん、杜氏さんたちにあってはその創始者として、多くの信仰を集め、いまも新酒の仕込みにかかる前、杜氏さん達が、丹波や丹後・但馬、北陸、中国筋から蔵入りする前には大神神社の左手、祈祷殿の東側の山麓の高台(結構急な坂を登らねばならない)に祀られている活日神社に参拝し、また春もたけなわの頃ともなれば、無事、百日勤めを終えてそれぞれ郷里へ帰る時、ふたたび参るのがならいとなっているという。

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活日の歌からもわかるように大神神社祭神大物主大神は酒造りの神なのだ。したがってここもまた多くの酒造業者の信仰を集めている。先日の記事でもご紹介した通り、毎年11月14日は大神神社にて大物主大神に祈りを捧げ、その冬の酒造りの成就と安全を願う酒祭りがおこなわれている。

そして・・・今日がその日であった。

大神神社にほど近い場所に住んでいながら、そして人並みに酒を嗜みながらも、これまで私はこの祭りに出かけたことがなかった。今年の11月14日は週末・・・出かけるならば今年を置いて他にない・・・ということで9時40分・・・私は家を後にした。

詳細は次回の記事に委ねることとして・・・

上の日本書紀の一文からもうかがえるように、我が国にあっても古くから酒は愛された。聖なる飲み物であるという性格上それは個人的に家で嗜む・・・晩酌をするというような飲み方はかつてはなされていなかった。いきおい、何人もが集まり共にきこしめす、そんな場で・・・すなわち宴の場で飲まれるのが一般的であったようだ。むろん時代が下れば事情は異なってくるが、それでも人々は集いそして聖なる飲料に陶然とした。

そんな宴の歌々が萬葉集にも幾つも残されている・・・というよりは、そんな場で詠まれた歌が萬葉集のかなりの割合を占めている。だから・・・場合によっては、今から千数百年前のとある日の宴席の場が、その際に読まれた歌を通して現代に生きる我々の目前に明瞭に立ち現われてくることになる。

そして、そんな一つ一つの宴の場を詳細な歌の読みを基盤にして私たちに見せてくれるのが上野誠氏の「万葉びとの宴」である。

氏はこの書において決して難しいことは言わない。けれども、その考証は極めて堅実、私たちは安心してその説くところに耳を傾けることができる。そしてその説くところに耳を傾けているうちに、何時しか私たちは万葉人たちの宴の同席者となる。

是非ご一読願いたい。