大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

伝 山部赤人の墓

天平19年(747)3月3日の日付で、大伴家持はその歌友大伴池主いけぬし長歌1首、短歌3首(万葉集巻十七/3969~3972)を贈っている。その4首には書簡が添えられているのだが、その中に次のような一節がある。

幼年未だ山柿さんしの門に渉らずして、裁歌の趣、詞を聚林に失ふ。

若い頃に山柿の門に関わったこともないが故・・・和歌の道を正しく学ばなかった故・・・折角詠んだ歌の言葉も、言葉の林に見失うがごとくでたらめな言葉遣いです。

ここに出てくる「山柿の門」とは、「和歌の道」を意味する語であることはほぼ疑いがないが、「山柿」については諸説紛々、未だ定説を見ない。これまでの論議は、この語を万葉集の代表的な歌人の名を取ったものだとして、それがいったい誰であるのかをめぐって動いてきた。曰く・・・「柿」は柿本人麻呂をさすとして、「山」は山部赤人をさすのか、山上憶良をさすのかという点についてである。加えて、近年「山柿」なる語の示すところは柿本人麻呂のみであるとか、山部赤人だけであるという考えまでもが提出されている(詳細は上記リンクにまとめておいた)・・・

結局まだよく分かっていない、と今はいっておくしかないのが正解なのだと思う。むろん不勉強であることがとりえの私であるから、今はいずれの方向にか決着を見ているのかもしれない

ただ・・・今回は都合により(笑)、「山柿」の「山」は山部赤人のことをさすとしておく。

・・・というのは・・・

一昨年、柿本人麻呂の墓とされる場所を訪れたことについて書いた。もちろん、それが本当に柿本人麻呂の墓と考えることが出来るとは思わない。けれども、この場所に柿本人麻呂が眠ると伝えられ、信じられ続けてきた歴史にはそれなりの意味があると思う。万葉集の時代にあって、既に歌の道の規範としてその編者(と目される)大伴家持にも仰がれていた歌人が、そこに眠って居ると信じ、その墓に参ると言うことは後世の歌の道を志したものにとってはそれなりの意味があったはずだ。

だとするならば、大伴家持によって振り仰がれたもう一人の山部赤人の墓だってあっていいじゃないか・・・

そして・・・その墓は現存するのである。場所は奈良県宇陀市榛原はいばらの北に聳える額井岳の東側の中腹にである。

[caption id="attachment_7337" align="alignnone" width="300"]額井岳 額井岳[/caption]

道は国道165号線を宇陀市榛原の福地の交差点を左に曲がる。この道は途中で国道369号線と合流し香酔こうずい峠を越え都祁つげの地へと向かうが、目的にに向かうためには途中の玉立とうたち橋東詰の交差点で右折しなければならない。そのまま道なりに1kmほど東に向かったところに左に折れる細い道が目に入る(非常に見つけにくい)。

[caption id="attachment_7338" align="alignnone" width="300"]IMG_20160105_151453 赤人の墓に至る林道[/caption]

道は額井岳に向かい急な斜面となって、しかも右へ左へと細かくうねる。そして突き当たりを大きく右折し、写真のような林道を500mも行けば、右手に写真のような石碑が見えてくる。

[caption id="attachment_7339" align="alignnone" width="300"]赤人歌碑 赤人歌碑[/caption]

あしひきの 山谷越えて のづかさに 今は鳴くらむ 鶯の声

(あしひきの)山谷を越えて、野の小高い丘で、今鳴いているであろうなあ・・・ウグイスの声よ.

万葉首巻十七/3915

目的地はそこだ。

石碑の手前に車1台を止めるほどのスペースがあり、そこから谷筋に向かって延びる斜面のかかりの狭い平地に・・・

[caption id="attachment_7340" align="alignnone" width="226"]赤人の墓 赤人の墓[/caption]

これが山部赤人の墓と伝えられる墓標である。この塔は鎌倉時代の建立とみられ、むろん赤人の墓という確証はどこにもない。しかしながら、上にも述べたように大切なのはこの五輪が長い世代にわたって山部赤人の墓だと語られ、信じられてきたところにある。写真はこの墓の右側面を撮ったもの(正面からは逆光になってうまく撮れなかった)であるが、正面に回ってみると、この墓に向かっての急な斜面のようにかつての参拝道の跡を確認することが出来た。

[caption id="attachment_7341" align="alignnone" width="226"]IMG_20160105_151327 赤人の墓への参道[/caption]

それがいったい誰の墓であるかはわからない。けれども・・・この嶮しい道を喘ぎ喘ぎ上り、自らの歌の向上を願いこの五輪に手を合わせた古人は、けっして1人や2人ではなかろう・・・と思うのみである。

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