大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

三友亭昆虫記・・・クロアナバチ

昨日の朝、、職場について車から降りると駐車場の縁にある砂地の部分に3cmほどの黒色の蜂が地面のあたりをうろうろしているのを見かけた。地面にその顔をくっつけて、地表の砂粒のような小石をせっせと銜えては後ずさりし、移動させている。どうやら穴を掘っているらしい。

ぴんとひらめいたのは「ジガバチ」という名。

早速調べてみる。私はこれまでこの蜂を「地下蜂(ジガバチ)」と理解してきたが、どうやらそれは間違い。「似我蜂(ジガバチ)」と理解するべきもののようである。「ジガ」というのはこの蜂が、自ら掘った穴の近くでならす羽音が「ジガジガ」と聞こえてくることから来ているらしい。そしてそれを我々の祖先が「似我(ジガ)→我に似よ」と聞いたのだという。

事の真偽はともかくをして「なるほどなあ」等と感心しながら調べを進めてゆく。私が見たそれはどうやら「ジガバチ」と呼ぶべき蜂ではないらしい。地面に穴を掘り、そこに自らの幼虫の餌となるべき他の昆虫や幼虫を自慢の毒針で全身をマヒさせて連れ込み、その傍らに我が子を生み付けるという習性を持った蜂は数多く存在し、それらの総称として「アナバチ」という名があるそうだ。「ジガバチ」はその中の数種に過ぎない。私が目撃したそれはどうやら「クロアナバチ」と呼ばれているものらしい。

・・・ただし、この総称としての「アナバチ」はまた総称として「ジガバチ」とも呼ぶことがあるらしいので、その意味では私の判断はあながち間違いと言うべき質のものではない・・・

昼休みの頃、食事を外でとろうと車まで行くと、地面には小指ならばすっぽりと入ってしまいそうな穴ができあがっていた。私が近づくとこちらを威嚇するように飛び上がり、その穴の上空30cm程のところでホバーリングをしている。

私は余り刺激することがないように静かに車に入りドアを閉めた。彼は・・・いや、彼女は巨大な外敵の姿が見えなくなったことに安心したのか、再び穴の仲に潜り込んでいった。ちょいと興味深かったので、車の窓越しに彼女のひたむきな作業をしばらくの間、見つめ続けた。

一度潜っては自分の顔の三分の一ほどの石(我々から見れば砂粒)を銜え、後ずさりしながら穴の外に運び出す。また潜っては石を銜え、穴から出てきてはそれを捨てる。そんな単純な作業が私の見ている間、途切れなく繰り返されていた。

そして今朝、ふと昨日のことを思い出した私は、車を降りてその作業が繰り返されていた場所を見に行った。どうやらすべての作業が終了したらしい。小指がすっぽりと入るほどの穴はすっかりと埋め尽くされ、細かな砂利がこんもりと盛り上がるようにして、彼女の子供が眠っているだろう場所を覆っていた。おそらくその下にはその子供が、成長するに充分な程の餌とともに埋め込まれているのであろう。

そして母親は・・・

もうすでに次の卵を産み付けるべき穴を掘り始めていた。

彼女は・・・いや彼女たちは、その長くはない成虫としての時間のすべてをこの単純な作業に費やすのであろう。我々人間には耐え難いほどのひたむきさを持って・・・

我が子のために謳歌すべき成虫として過ごす時間のすべてを、この蜂の母は捨てる。人はそのけなげな姿に「母性愛」の一つのありようを見る。しかし同時に、その人はそれが単に子孫を残すことのみがその存在意義である生き物の本能というものであることも充分に理解していることだろう。人間が「愛」と呼ぶ、オスとメスとが巡り合い、そして次なる世代を再生産してゆくべき行為もまた同じく本能にすぎないように・・・・

けれども・・・翻って考えてみれば、我々人間の間における「愛」という感情自体も、生き物としての本能が作り出した産物そのものなのである。人間だけが特別なのではない。ただ、特別なものであると思いたいがゆえにそこに・・・「愛」という特別な感情が存すると考えているだけなのである。

であるとするならば、人はこの「クロアナバチ」のけなげな姿に、我々と同じ「愛」の存在を感じ取ってもいいのかもしれない・・・

私がこの「クロアナバチ」も母の姿に惹きつけられたのは、そこにゆえがあるのかもしれない。