大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

山辺の道・・・狭井川

狭井神社を後にして、道を再び山辺の道に戻す。この神社の入り口にある茶店の手前のなんということもない細道がそれである。

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ここからはいよいよ大神神社も境内から離れることになるのであるが、まだまだ三輪山の主、大物主大神のおひざ元であることには変わりない。道はほどなく古色を帯びてくる。

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地面は石畳でおおわれている。写真では分かりづらいが、この辺りはかなりの傾斜があり、雨が降ったりするとズルズルになり、非常に危険だというのでこうやって石で覆ってしまったものかと思われる。私がはじめてこの道を歩いた30数年前・・・このような石畳はなかったよう記憶しているから、そんなに古いものではない。

そしてその傾斜下りきってほんの50m・・・。深い木立の途切れたそのあたりに

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突如、美しい白塗りの壁が見えてくる。

大和を代表する刀匠「月山」の工房だ。この場所を通り過ぎるタイミングによっては、鋼を鍛える槌音や、刃を研ぐ音がきこえてきたりして、ちょいとタイムスリップをしたような気分に包まれる。聞けば、毎週の土曜日にはその現場を見学させていただけるらしいが、ご興味のおありの方は上のリンクの「ご案内」を参考にしていただければと思う。

さて、この工房の手前、ほんのささやかな流れが音を立てている。

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狭井川だ。

なんでもこの辺り一帯にはかつて「ササユリ」が多数自生していたそうで、そのその古名「サヰ」から、地名もこの川の名も付けられたのだそうだ。

其の河の左韋(サヰ)と謂ふ由はその河の辺にやまゆり草多(サワ)にありき。かれ、その山百合草の名を取りて、左韋河とつけき。山百合草の本の名は左韋と云ひき(古事記

ところでこの川、上に引用した古事記の中で、次のように詠まれている。

狭井川よ 雲たち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かんとす

神武天皇の皇后、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)の作である。

神武天皇崩御なされた後、三人の皇子が残された。皇位の継承はこの中の誰か・・・と話は進むはずであった。しかし、これを快く思わない男がいた。神武天皇の別腹の皇子タギシミミ(当芸志美美)だ。タギシミミは伊須気余理比売を娶る(この辺りの古代の論理はちょいとわかりかねるが・・・)と、自らが皇位につくことを目論み、伊須気余理比売の皇子3人を亡きものにしようとした。

伊須気余理比売は、その目論みを知る。なんとか我が子に危険が迫っていることを知らせたい。けれども、自分の傍らにはタギシミミが・・・・・

そこで、伊須気余理比売はこの歌を詠み、子供たちに迫りくる危険を我が子たちに知らせたという。

写真で見るようなほんのささやかな流れに「雲たち渡る」とは何とも大げさな表現である。故に、この川、かつてはもっと豊かな流れであったのだろう・・・とか、そのアンバランスさが皇子達に迫る危険を暗示しているのだろう・・・とか、いろいろといわれている。

・・・・そのいずれが正しいかを決するのはこのブログの仕事ではない。先へ急ごう。

次は玄賓庵だ・・・・