大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷の記・・・野蒜駅

我が郷里で、全国的に名の知られた民謡に斎太郎節がある。この斎太郎節と遠島甚句を合わせて歌えば大漁歌い込みとなるのだが、その斎太郎節に「まつしま(松島)~の~ さ~よ~ず~い~がんじ~(瑞巌寺)ほ~ど~の~ て~ら~(寺)も な~い~と~え~」と歌われた瑞巌寺は私が育った東松島市の西隣、松島町にあるにある。この日最初に訪れた鳴瀬川の河口からは車で30分ほどの距離である。

私が育ったころとは全く違った風景となっている野蒜の街並みを見つつ、車は西へと向かう。ふと目に入ったある建物に私は思わず車を止めた。

野蒜駅のホームだ。

[caption id="attachment_7501" align="alignnone" width="300"]IMGP5186 野蒜駅のホーム[/caption]

私がこの町に暮らしていたころには、ご覧のような駅全体を覆うような屋根はなく、中央部に小さな待合室があったように記憶しているのだが・・・しかし・・・このホームには今は、そしてこれからも電車を待つ人が経つことはない。

あの日、このホームも昏く冷たい波濤に襲われた。波濤が到達するほんの数分前、上り仙台行きと下り石巻行きの列車がこの駅で行き違いし、仙台行きはこの駅の隣駅である東名駅付近で津波に飲み込まれた。「くの字」に捻じ曲げられたその無残な姿は、メディアにも幾度か登場したのでご記憶の方も多いであろう。

幸いにもこの電車の乗客に死者はなかったと聞くが、かような巨大なジュラルミン製の構造物を、あの昏く冷たい波濤は容易く押し流し、かくも無残に捻じ曲げてしまった。乗車しておられた方々の恐怖のほど・・・想像を絶する。

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一方石巻に向かったそれは、幸いにも津波が到達したその時間には、やや内陸よりの高台を通過していたところであったので、直接波にさらされることはなかった。しかし・・・津波による停電によりその動力源を失ったこの電車は推進力を失いこの地にとどまることになる。当然・・・暖房はきかなくなる。覚えておいでの方も多いと思うが、あの翌日東北の地は3月も半ばだというのに、うっすらと白いものに覆われていた。ただの更迭の箱になってしまったこの電車の中で不安の中で過ごした乗客のみなさんは、そんな夜をお過ごしになったのだ。

・・・こんなことを私は、もうその役割を果たすことがなくなったホームを見つつ思い出していた。

・・・と・・・遠くから、電車の警笛が聞こえる。

私はホームの躯越しに、はるかにある高台に目をやった。

[caption id="attachment_7505" align="alignnone" width="300"]IMGP5188 新しくできた野蒜駅[/caption]

私がカメラを手に取った時はすでに遅く、電車は行き過ぎていたが、そこには確かに駅がある。新しくできた野蒜駅だ。仙石線は、あの日から4年と少し経った昨年、最後まで残されていた、野蒜駅付近の工事が完了し全線開通したのだ。

かつての野蒜駅は伊達藩時代に開削された運河(貞山堀・・・貞山は伊達政宗公のこと)沿いに位置していたが、今回の復興計画によって運河より海側は居住に適さない地域としてしていされ、そこに暮らしていた人々の何分の一かは、この新しい駅より北側に新たに造成される住宅地に移転するのだという・・・当然、駅もその造成地を通ることになる。人の住まぬ場所に駅があっても仕方がないというわけだ。

駅舎のほうは震災直後には

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かくも無残な姿をさらしていたが、今はきちんと整備されコンビニとして新たな役割を担いつつある。写真のような悲惨がかつてあったことなど微塵も感じさせない・・・瀟洒な姿を見せてくれている。

・・・が、その裏に目をやると・・・

[caption id="attachment_7507" align="alignnone" width="300"]IMGP5190 野蒜駅 軌道[/caption]

無残に引きちぎられた線路が、あの日を境にこの地の上を通り過ぎた変転を、静かに物語っていた。

思い出されるのは・・・今から37年前の4月・・・確か2日。私は大和にある大学に入学を決め、この駅を後にした。8時・・・5分ごろの仙台行き快速であったと思う。もう4月だというのに朝から雪が降っていた。我が家から駅までは徒歩で15分ほど。いつもならそんなことをする父ではなかったのだが、この日は珍しく車で送ってくれた。

見送る父に背を向けて私はホームに向かう。あの頃の野蒜駅はちょいと高くなっているホームに上るための階段はなく、かなり急なスロープを登らねばならなかった。滑りやすいそのスロープには滑り止めのむしろが敷かれていたのを覚えている。

ホームに立った私のくるぶしまで・・・雪は積もっていた・・・